投票に行かない、ということを分かりやすく言うと、「クラスの席替えの日に学校を休むこと」だとさ。おお、これは実に直感的。個人レベルの危機感を煽るたとえだ。参加しなければお年寄りや団塊世代にとって、より有利な席替えが行われることになる。学生による活動団体が、ラジオで言っていた。
— 蝦名頼道@全ての道は日高屋に通ず (@yoripon_jp) 2014年12月2日
似たような話を以前取り上げたことがあるような気もするのだけど、選挙期間中ということもあり、再確認の意味もあわせ。一人の投票行動は全体の動きと比べればほんのわずか、微塵でしかないのは確かだけど、微塵でもゼロではない。そしてその微塵すら加えなかったのなら、その結果に対して何か文句をつける資格は無い。それを、クラスの席替えに例えている。
まぁ実のところ、席替えの仕組みは学校、さらにはクラスで色々なパターンがあるのだけどね。自分の意見・希望がある程度尊重されることもある。そのような場面で休んでしまうと、自分の意志がまったく反映されない席で一学期、あるいは一年を過ごさねばならない。文句を述べたくなるような場所でも、仕方ないじゃんでオシマイ。
似たような話としては体育祭での参加競技とか、負担ばかりの学級委員とかがあるかな。選ぶときに席を外していたり休んだら、自分が苦手なものに選択されていて、でもその場にいなかったので文句はいえない。まぁ、投票の場合、実際に一票を投じたところで文句は言えるけど、それが取り入れられるか否かはまた別の問題なんだけどね。それでも何の文句もいえない、いう資格が無いよりははるかによい(本質的には投票しなくても文句はいえる。けど、周囲には聞き入れられないよ、の方が分かりやすいかな)。
ぶっちゃけると、あの人・あの政党が好きだから入れる、ってのだけじゃなく、あの人・あの政党が嫌いだからそれ以外に入れるってのでもかまわない。それもまた、投票の際の意思決定に変わりはない。自分の名前を書いたり白紙で投票するのは問題外だけどね。卵にしょう油かソースか胡椒かを聞いているのに、山椒を持ち出してくる行為がどういうものかと考えれば、理解はできるはず。
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