今の創作物の市場って、供給過多なせいで消費者が力を持ってるわけですよ。
— 碌星らせん (@dddrill) 2017年10月24日
で、そうなると、消費者の何気ない感想(パクリだとか面白くないとか)で、作品が変なダメージを負うこともあるわけで。そういうのが嫌だなぁ、というのはわからなくもない。
これはまぁ、前から言ってるけど、作品を発掘したり評価したり誉めたり、みたいな部分に対して、何らかのアプローチが必要なんだなと。
— 碌星らせん (@dddrill) 2017年10月24日
インターネットの普及で情報受信も容易になったし、情報発信のハードルも思いっきり下がった。需給の法則が働いて、創作物全般に関わる相場が下がっているってのは「アルバイト感覚で手掛ける人が居る」的な話と絡めて何度か言及した記憶があるのだけど、こういう観点には思い至らなかったし、指摘されると確かにそんな面もある。
雇用市場と同じで、需要側、つまり購入してくれたりファンになってくれたりファンになる側の立場が強くなると、力を持った側による暴走が生じることがある。いや、暴走そのものは以前からあったのだろうけど、それが大規模化したり、供給側に大きな痛手となりやすくなるのだな。
それが適正な理由によるものであるのならまだしも、誤解だったり誤解釈だったりいろいろな見方があってその一側面に過ぎなかったりすると、結果として理不尽な被害を受けることになる。下手をすると何年にもわたって誤解の烙印を押されることになる。昨今ではあまりにも乱雑な誹謗中傷にはツッコミが入って鎮火させられるけど、世の中すべてそううまく行くわけでもない。
無論太鼓持ちをしろとか、ステマをしろというわけじゃない。ただ、スタンピード的に生じた理不尽な誹謗中傷にはしっかりとフェイクマークをつけられるような、さらにはポジティブなアプローチが供給され続けるような仕組みって、必要な気がするのだな。まぁ、既存の雑誌などの媒体がその役割を果たしているはずなんだけど、その影響力は以前ほど強くなくなっているのは否めないし......。
個人的には例えば、アマゾンのアソシエイツプログラムが間接的に、そのポジティブな影響力を支えていた気がする。特に出版物関係。あれがあったので、自主的によい作品がプッシュされていた。けど、数年前に利率の大改定をして自主的なアプローチの対価が思いっきり下がってしまって、すっと潮が引くような形で大人しくなってしまったという感じがする。
アマゾンとしては釣った魚にはエサはやらないという考え方なのだけど、あの変更は中長期的に見れば大失敗だったのだろうな、と思うのだけど。
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