.@2ap_2 さんの「「絵を描くのに資料を使うなんてズルい」という人いるので、「資料使うのは普通」を定着させるためにタグが作られる」をお気に入りにしました。 https://t.co/jbGJ7FqZ3C
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2017年10月28日
当方は絵を描く、描ける立場ではないので直接の当時者・関係者ではないのだけど、ここ数日の間、ツイッターなどのソーシャルメディア上で色々と語られていたのを目にしたのが、この「絵を描くのに資料を使うなんてズルい」という主張。
コピペとかトレースとかの問題と同じ感覚の香りもするし、そのコピーやらトレースやらも他作品を無断でまったくのコピーするというのならともかく、参考にするとか、権利関連で問題の無いものをトレースするのにまで騒ぐ、「とにかく描き手は万能でゼロからすべてを想像しなければだめだ」的な自分勝手のルールを世界全体に強要しようとしている悪の概念の体現化な気がするのだけど。
この「資料を使う」ってのも、すでに存在するものを参考に、新たに作品を創生するのは俺様が絶対許さない、的な。無茶言うな。人は経験を基に創造を成していくのであり、その経験は既存のモノしか得られないのだから。
まぁ、極論を述べるとすれば、多分に詭弁になるけど、「絵を描くのに資料を使うなんてズルいというのなら、文字も使えなくなるし、筆記用具もデジタル機器もすべて使えないよね」ってことにすらなってしまう。自分の記憶だってダメだ。自分自身以外の物質との接触による経験すら認められなくなってしまうものね。
で......直接「絵を描くのに資料を使うなんてズルい」と主張する人とやり取りをしていないので推論でしかないのだけど。「絵を描くのに資料を使うなんてズルい」っていう主張って、実のところは「絵を描くのに使える資料を持ってるなんてズルい」ってところじゃないのかな。「高性能な絵描きツールを持っているなんてズルい」「高額の液タブを持っているなんてズルい」「ハイスペックなパソコンを持っているなんてズルい」。それと同じ。
何しろ「ズルい」ってのは「自分の利益を得たりするために、要領よく振る舞うさま。また、そういう性質であるさま。悪賢い。こすい」(【goo辞書】)であり、悪い、犯罪的行為って意味じゃないからね。妬み、嫉み、そんな香りが多分にする。
......ああ、あれだ。子供のわがままで「○×ちゃんはあのおもちゃを持っていてズルい」ってのと同系列のお話なのか。
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