私がどうぶつの森で学んだのは、木になる果物の名前、家具の名前や壁紙や服の意匠の名称、部屋の掃除をしないとゴキブリがでる、川は海に注いでる、川と海では住む魚がちがう、博物館はまず収集をしないと博物館にならない、など、おおよそ子供が必要とする「世界について」だった。百科事典の代わり。
— ゆとこ (@yutkou) 2017年10月26日
昔の子供は外遊びで色々なことを学んだけれど、今の子供はゲームばかりやってるからダメだ。ゲームをしまって外で遊びなさい......なんだか数年前の某教育組織のお話を思い起こさせるのだけど、その類の語りはしょっちゅう見聞きする。保護者から見れば子供が小さな板に夢中になっている様子は、自分の子供時代とはかい離しすぎていて、気持ち悪さすら覚えるのかもしれない。
でも経験という観点で見たら、昔も今もそう違いはないような気がする。子供は今の自分の社会環境の中で興味があるモノ、特に大人が何気なく使っているものに興味関心を示し、自分も使おうとする。そして自分の好奇心や願望を充足しうるものに注力する。それは大人になった時に社会にうまく適合して生きていくための学習に他ならない。
例えば狼に育てられた子供が大人になった時に、現代社会で上手く生きていけるだろうか。無理だ。自分自身の欲求も多分にあるのだろうけど、子供の行動は今の世の中に適合していこうともがいている姿でもある。
今件では「どうぶつの森」が挙げられているけど、結局はそれもコミュニケーションツールであったり、ルールの中でどのような行動をすべきかという対応を学ぶ機会でもある。その中で、日常社会の規範を少しずつ習得できるようになっている。学びはゲームでもできるのだな。
これ多分、今の子供はマインクラフトで学んでいるのだろうなという気がする。
— 碌星らせん (@dddrill) 2017年10月28日
夜の闇が怖いことであるとか、衣食住を確保することの大切さとか。見知らぬ人間に近づくと爆発する危険があることとか。
現実世界では見知らぬ人に近づいても爆発はしない代わりに色々なリスクが高まるから、まぁ似たようなものとして。「マインクラフト」も学びを得ることは山ほどある。そればかりやっているのでは問題だけど、ゲームだって立派な経験の一環であり、学べるものはいくらでもあるのだから。
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