資料を見て描くのはズルという発想は若い時特有の根拠の無い万能感に立脚してると思う。何も見ずに構造を把握して正確に形を取りちゃんとした光源の下豊かな質感で素敵な絵を描ける自分でないと許せないんすよね。何でそう思うかっていうと自分もそんなだったから。
— 内藤泰弘/YasuhiroNightow (@nightow) 2017年10月28日
そんでそういう自分にとっとと見切りをつけて結果が良くなる為には何でもやるってやってたら今よりもっと上手くなってたかどうかは分からない。ただ実戦でのスピードは上がったかも。
— 内藤泰弘/YasuhiroNightow (@nightow) 2017年10月28日
そんな時三田紀房先生の仰った名言「舗装道路があるならそこを走れ」を思い出します。先人がグダグダ悩み失敗を重ねて到達した結論はサクッと取り込んでその先のフロンティア入り口までとっとと行ってしまえばいい。あなたのその時間と労力は前人未到の領域でこそ振るわれるべきだと。
— 内藤泰弘/YasuhiroNightow (@nightow) 2017年10月28日
先日の「資料を見て描くのはズルい」から連なるお話として。できる人は無からすべてを生み出す創造主のような存在であるべきなのだから、そうでない人のやり方は卑怯であるというのも「ズルい」的発想につながっていたのではないかな、という見方。でも実際には、試行錯誤を自身で繰り返す行為を否定するわけじゃないけど、あらかじめ用意されているものがあるのなら、それを使うのも賢い方法ではある、と。選択肢としてそれがあるのならどんどん積極的に使い、無い場所で自分の試行錯誤の力を発揮せよ、と。そりゃそうだな。
無論、用意されているものをブラックボックス的な存在として扱って闇雲に使うよりは、ある程度内容を把握しておいた方が、より得るものは多くなる。でも実際には、例えば自動車の運転のように、自動車の内部機構などの理屈をすべて知らなくても、移動手段として使えてしまえればそれでいいじゃんというのが実情。すべてのドライバーが、自動車の修理も完ぺきにこなせて、仕組みをしっかりと隅々まで把握して、どのような疑問にも答えられるプロフェッショナルになる必要は無い。
「先人の下ごしらえを活用することはとても大切」と八房龍之助先生のお話 https://t.co/aaaxywX2qx が思い起こされます>>RT
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2017年10月29日
この辺の話は一昨年記事にした八房龍之助先生の某漫画でのセリフ「先人の下ごしらえを活用することはとても大切」に通じるものがある。「十年かけて編み上げられた技能をホントに修得しようとしたら、やっぱり十年かかるもんさ」には、はっとさせられるものがあるよね。
コメントする