というか最低賃金を出さずに不当に競争力を得ている同業者を刺すべきであって
— 憑かれた大学隠棲:再稼働リプレイスに一俵 (@lm700j) 2017年10月29日
先日某自称ジャーナリストな方が自らは時給1500円運動に参加しておきながら、自分自身の人材募集ではそれよりもはるかに下の額、さらには最低賃金すら下回る条件を提示していたことから始まるお話。中小企業では最低賃金を守れないのは仕方が無いという話に転じ、それはどうなのかというツッコミなどがなされている展開。
まぁ、最低賃金の設定そのものが法的なものなので、それを遵守できていないのは違法行為でしかないのだけどね。それを中小企業だから仕方が無い、それを守ると利益が減る云々として正当化しているのはどうなんだろうか、と。
まず、法は守るためにあるのであって、自分の境遇がこうだから法を守らなくてもよい、仕方が無いというのは、その状況を肯定する正当な理由にはならない。正当防衛みたいなもんだとの反論もするかもしれないけど、それはまったく別次元の問題。
加えて指摘にもある通り、定められている法の上で社会活動を行うのが国民の義務であり、その法を守らずしての活動をするってのは、不当な力を得ていることを意味するのだよね。「仕方が無い」じゃなく「不当に競争力を得ている」。指摘されないと気が付かないかもしれないけど、気が付くとハッとさせられる。
例えばレギュレーションががっつり定められているレース競技で、1チームだけ規定を超えたエンジンなり車両を使ってレースに参加するという行為は、正当化されるのか。それが「これじゃないと他の車に勝てないから」「これしか手持ちが無くて、規定に合わせるものを調達する予算も時間も無いから」という理由を出してきた場合、許してもらえるものなのか。「参加できないのはかわいそう」で勘弁してもらえたら、他のレギュレーションを守ってきたチームはどう考えるのか。そしてそもそもレギュレーションは何のために作られているのか。
まぁ、もっとシンプルに例えれば、相撲でパワードスーツを着こなしてきたり、マラソンでタクシーを使ってショートカットしたり。それとさほど変わりはないのだよね。
決まり事を守らない、守れない自分の行為を、決まり事が悪いから、自分にはそれをクリアする事ができないので仕方が無いからと正当化する。それが許されるのなら、無法世界になってしまう。そのような話を堂々と主張することに、違和感を覚えるべきではないのかな。
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