「資料を見て描くな」は宮崎駿監督も言ってたと思うのだけど、言葉の意味は
— 鳥取砂丘 (@tottori_saq) 2017年10月28日
きちんと物の形や構造を理解して、
写真のように全て同じくらい精密に描くのではなく
見せたいもの、演出に合わせてディティールを調整し
写真よりも見やすく理解しやすい『絵らしい絵を』描け
って事だと思っています。
宮崎監督の絵はすごく精密なので
— 鳥取砂丘 (@tottori_saq) 2017年10月28日
ちゃんと資料を見て、何度も描いて、憶えて、
絵として昇華したものだと思います。
言葉通りの「見て描くな」とは意味が違うと思うのです。
「資料を見て描くのはズルい」話をまだ引きずっていたりする。「資料を持っているのが羨ましい」「創造をする人はゼロからモノを生み出すべきだ」的な発想以外に、こんな解釈もあるのだなあ、という話。
要は「資料を見てそのままべた写しにトレースするな」という主旨の発言を、単に「資料を見て描くな」と誤解釈し、そこから「資料を見て描くのは絵を描く方法論としてズルい」という流れになったのではないか、的な。「絵を見て」というのは「絵をそのままトレースするな」という意味だったのだね、と。
参考にした資料や絵をそのまま描くのなら、それこそ写真でもコピーでもトレースでも良くなってしまう。自分自身の絵として描く以上、自分の世界観に取り込む必要がある。時折漫画の描写に違和感があり、よく見てみたら手が加えられていない写真の取り込みだったというケースがあるけど、まさにそういう感じ。「それっぽさ」というのかな。
これは漫画や絵に限った話ではなく、創作物すべてに言えること。精密な描写はそれはそれで一つの方向性ではあるけど、その基となる素材を取り込んで、自分の世界に転換した上で、それっぽさを創生する必要がある。
レゴのオリジナル作品作りでも、まさにその話が当てはまる。厳密さを追い求めていたらきりがないし、かえって違和感のある作品ができてしまう。それっぽいものとして見えればそれで良し。下手にリアルさばかりを求めようとすると、かえって全体としてのバランスが崩れるし、造形そのものが破たんしてしまうのだな。
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