「効率を上げる工夫」や「作業を要領よくすること」を「ズル」と言い、非効率的なやり方を続けることを「頑張っている」と言うのは、給与生活しかしたことのないひとだろうな。自営だと、品質を落とさず効率を上げる工夫をしていないと実際死ぬもの。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2017年10月30日
先日の「工夫をしてリソース不足を補完するのならお金を出せ」と相反するように思えてしまうかもしれないけど、これはむしろ逆で、現状をより楽にするためのポジティブな工夫。1の結果を出すのに1のリソースが必要な状態で、2の結果を求められてしかもリソースは1のままで工夫しろというのが先日のお話。今回は1の結果を出すという状況はそのままで、0.5のリソースで済ましてあとの0.5分は楽をしようというもの。
良く語られる例としては、ちまちま入力と計算を繰り返していたのを、マクロを組んだらあっという間に終わったよというもの。まぁ、計算が雑だったりミスが生じえるようなものだったらマズいけど、やっていることが正しいのならば任せられるところは機械任せにした方が楽には違いない。でもそういうことをすると、ズルをしているとかインチキだとか手抜きだとかちゃんとやれと怒る筋がいる。理不尽。
もっと簡単な例だと、電子レンジで加熱中は他の調理をできるはずなのに、「ちゃんと電子レンジの様子を見て無きゃダメだろ」と、ずっとレンジの前で突っ立っているのを強要されるとかね。まぁ、吹き出る可能性があるのならともかく、さ。
勤めていた会社でインダストリアルエンジニアリングと称した工程の効率化を進める仕事をしていましたが、生産現場の工程削減と人員整理には必死だった割に提出書類は同じものを何度もプリントアウトして紙を大量に浪費し、Excelで関数を使って数値をまとめる事さえ「手抜き」と罵倒されました。
— 初回特典大ライス (@kosakinium) 2017年10月30日
ナチュラルに効率よく仕事しようとすると、上司から 謎のストップと、同僚の何割かから、謎の同調圧力がかかって、おかしくなりそうになる。それが給与生活者なんだよなぁ。 https://t.co/CW2dWEyBR1
— ひみかまる (@himikamaru) 2017年10月30日
指摘されている通り、ふきあがる人たちの理由は色々とあると思うんだ。自分が理解できない工夫は何かインチキや手抜きをしているに違いないとか、自分が苦労していたのをこんなにサクサクしてしまうのはシャクに触るとか自分の労力が否定されたようで悔しいとか、さらには自分の価値観が否定されてしまうのではないかという恐れからの反発とか。
非効率的なことをがんばるから良い、効率的なことを時間がかからない・手を抜いているように見えるからダメだとするのは、単なる精神主義・感情主義でしかなく、非論理的。「ではなぜズルなのですか、手抜きなのですか」とツッコミたくなるよねぇ、ホント。
技術の進歩で自分のこれまでの労苦が否定されるのではなく、その労苦があったからこそ新しい技術の進歩を見出すことができた。ステップアップの踏み台になったというポジティブな思考ができないのは、旧態依然のロートル的な存在なのだろうなあ、と。
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