「議員定数を削減します!」とか「国会議員の報酬を引き下げさせます!」とか言う候補が居た場合、次のように尋ねてみたい。
— 愚真礼賛 (@gusinraisan) 2017年10月30日
「議員定数は10名に削減するですか?」「議員報酬は100円に下げさせますか?」
相手は「そこまでにはしません!」という事だろう。
これは当方もしばしば同じ疑問を覚えるようなケース。○×にしろという話が出てきた時に、その方策に論理的な正当性があるのか、そして具体的にどのぐらいまでにすればその目標が達成しうるのか、その辺りを明確にせずに何となく、イメージ的に騒げば同意を得られるだろうとの思惑が見え隠れしている。
ダイエットが良い例。健康体重より10キロ多いから10キロ痩せなさいというのなら分かる。でもダイエットがブームだから、なんとなく太っているように見えるから、とにかく痩せなさいと強要された場合、ならばどこまで痩せればいいの? となる。
「ではあなたの言う『適切な』下げ数はいくらなのか?その数字にした根拠は?なぜそれより下げられないとしたのか?その数字が"適切な値である"証明はどうやってはじき出したのだ?その根拠となるデータはどこから?」と続けて尋ねたら、まずそういう相手は逃げるか怒り出すことだろう。
— 愚真礼賛 (@gusinraisan) 2017年10月30日
なぜならそういうことを言い出す彼らは改革しているという印象を出したいだけのアジテーターでしかないからだ。
— 愚真礼賛 (@gusinraisan) 2017年10月30日
具体的な目論見も無く騒ぎ立てるのは、単なるアジテーターでしかない。この「何となく」ってのが曲者で、容易に使えるしつっこみを入れる人も少ないので、有効な手段となってしまうのだよね。
逆の方向性で良い例なのが消費税。「財源確保で安心できるから」ってのが大義名分にあるけど、ならば法人税も所得税も住民税も全部無しにして、すべてを消費税にすればよいまでの話。それをしないのはなぜなのかな。増税で安心とか末代までの恥になるような話を平気で口にする界隈に配慮をする必要は無いのだけど、何%になれば安心できるという計算はしたのかな、その根拠はどこのあるのかな、と。
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