松本人志やウーマン村本の知識や教養には一切頼らず、でも角度をつけたことを言おうとする、この反知性的な姿勢はどこから来てるんだろう?といつも思う。「学んだら負け」的な何かがあるようにも見える...。
— QJ (@QJ) 2017年10月24日
「無学者が学のあるエスタブを無知の知や絶妙な切り返しでやりこめる」ってフォーマットを作ったのが紳助や鶴瓶でその継承者が松ちゃんなこと、それ褒めて育てあげたのが上岡さんであることからして、残念ながら今の大阪の維新的なものって上岡さんが作ってしまったとも言えるんよね。 https://t.co/gjkLeAPc1W
— dada (@yuuraku) 2017年10月27日
ウーマン村本やほっしゃんは松ちゃんのエピゴーネンにも成れてないただの底が抜けたアホウだから論外としても、もっと目端の利くロンドンブーツ敦や千原弟なんかが芸人の仕事じゃなく「もっと若者の力を何かに変えられないか」みたいなマルチ詐欺的な方向に食指伸ばしてるのがどうにも嫌な感じでねえ。
— dada (@yuuraku) 2017年10月27日
ソーシャルメディアの一般化で顕著になった雰囲気なのだけど、芸能方面の人たちが政治関連に突っ込んで大炎上が繰り返される......というか、トンチキな内容とか反社的な話を平気で正しいように語り、それを非難されると逆切れし、その様子を報道が「正しいことを語っているにどうして非難されるのか」的な正当化する動きが多々見られるようになった。
中にはインタビュー形式の記事もあるけど、本人に言いわけ・正当化の機会を与えててさもその中身が正しいことであるかのような切り口てまとめられているからたちが悪い...ってこのパターンはあれだ、反社的な活動家へインタビューという名の広報活動を与える、今のジャーナリズム界隈のパターンと同じだ。
指摘されている通り、芸能界の界隈では無知が知恵モノを叩くってパターンがあり、それが痛快だったり面白かったりという様式が一つのテンプレ化しているのだけど、それはあくまでも芸能界という一つの閉じた世界の中でのお話なんだよね。そういう話が通用する世界の中でのことだから、皆が笑っていられる。劇の中だから、テレビの作り話のことだから。
それを舞台から外れたところでもやってしまっているのが現状かな。つまり、ヒーローものの主役を演じている人が日常生活でも同じ感覚で悪そうに見える人を退治しちゃったり、ボクサーが街中で一般人に向けて試合同様に殴りつけてしまうような。芸の中だけなら無敵モードだけど、それは現実世界で通用するわけじゃない。でも通用するものと無意識に判断し、同じようなことをしてしまう。
お笑い=吉本が壊したものの大きさってあると思うけど、それ言ったらいまの日本のバラエティー番組ほとんど成立しなくしなるもんな... 一切学ばずにひたすら受動的に楽しむことに特化したエンターテインメントという意味では動物化は今でも進んでるのかもね。
— 柳樂光隆JazzNewChapter (@Elis_ragiNa) 2017年10月28日
島田紳助的なところに顕著だと思うけど、「私は知識はないから詳しいことはわからないけど、これが良いものなのかどうなのかは感覚的にわかるんですよ。」みたいな勉強しないけどこれまでの経験からの肌感覚でわかるみたいな審美眼ノリが日本ではかなり好まれる風土がある気がしてるんだよな
— 柳樂光隆JazzNewChapter (@Elis_ragiNa) 2017年10月28日
それってもともとそうなのか、高度経済成長とか、バブルとか、昭和の日本の何かと関係あるのかないのか的なことはたまに考える。急に先進国になってしまったこととか、急に欧米と互角になっちゃったみたいな錯覚とか誤認とか。
— 柳樂光隆JazzNewChapter (@Elis_ragiNa) 2017年10月28日
物と金は一気に手に入って肩を並べたけど、知性や教養や歴史は積み重ねだから、みたいなジレンマから出てきた歪さなのかなとか。
— 柳樂光隆JazzNewChapter (@Elis_ragiNa) 2017年10月28日
これっておそらく大学の研究領域の軽視みたいなものもあるけど、それだけじゃなくて、文化領域での「上手けりゃいいってもんじゃない」「理論的によく出来てればいいってわけじゃない」みたいな態度とも密接に繋がってると思う。かなり根深く広範かとhttps://t.co/9shnuZJ9hi
— 柳樂光隆JazzNewChapter (@Elis_ragiNa) 2017年10月28日
ある意味、この指摘の通りなのかな。「自分は分からないけどこういう感じがする」が正しい、物理や論理や数理、理屈よりも、なんとなくが正しくなってしまう。例の「安全よりも安心」と自分の政略に悪用したお方の話もつながってくる。日本のすべてがすべてってわけじゃないけど、そういう人が増えているし、「そうじゃない」と指摘ができにくくなっている。
個人的には前政権下での科学魔女裁判的な公開事業仕分けの影響が大きいと思っている。あれをテレビなどで連日伝え、科学はバカだ、役に立たない、金の無駄だという印象付けをしてしまった。当時の国が率先しているのだから間違いないという裏付けまでさせてしまった。元々演出的にそういう場をアピールして、自分達の権限のすごさを知らしめるのが当時の政権の思惑だったのだけど、結果として科学や理屈を軽視する方向性を示してしまった。ちょうどソーシャルメディアが流行り始めた時期だったのも不幸だったのかもしれない。
芸人さんの政治的発言について色々と云われるんですが、元々芸人さんというのは「なっちゃいけない」とされる職業で、そういう人の拗れたところを見るのが面白いのであって、それを真に受けて見るようになった社会の方が問題な気がするんだよなぁ。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2017年10月29日
手前が小さい頃は「そんなにいちびってばっかりおったら吉本入れるで!」って叱り方がマジであったんですけど、今時だとNSCの入学式に親がついてくるとかいうでしょう。普通、親が止めるもんですよ、あれは。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2017年10月29日
村本や小籔の普段のネタやトークを見てたら、元々拗れた人なんだなっていうのは解るし、そういうスタイルでやってることは解るじゃないですか。それをなに、政治発言だけ本気になって聞いてるんですか。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2017年10月29日
ただ、炎上するってことは、やっぱりスベってるわけで、そういう意味で芸人として失敗していることは間違いないので、面白いか面白くないかで論じるのが筋。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2017年10月29日
但し元々政治の話って無粋でツマランもんで、昔から特に江戸の落語家さんがドヤ顔で政治をネタにするのが手前は嫌いだった。
まぁ、芸能関連の人からすれば、政治関連で語ったって別にいいじゃないかってのはあるのだろうし、あるいはそれで注目されればそれもまた芸のうちだという都合の良い解釈をするかもしれない。でも指摘の通り、炎上してるってことはすべっているのだから、芸としても失敗なんだよね。
知性の否定は芸としてならよいけど、芸の場から離れたら、それは単なるおバカさん。バカにされて当然。それを報道が(都合がよいからと)持ち上げるのも今の報道の醜態ぶりの一面なのだろうな。
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