電子機器を「身体の一部にする」というのは、ある意味スマートフォンで初めて広く成功しているな、と。「身体の一部」だから、何にも優先してお金を払うわけだ。
— 碌星らせん (@dddrill) 2017年10月28日
昔の某社のキャッチフレーズに「眼鏡は顔の一部です」というのがあった。顔の一部分としての存在なのだから、注意を払ってよいものを選びましょう的な考え方なのだろうけど、非常にスマートな表現に違いない。顔の一部だからお金を惜しみなく支払うのは当然だし、より見栄えの良いものを選んでも何の不思議もない、と。ケガや病気同様に眼鏡が壊れたら視力という体の機能を損なうのだから、すぐにお医者さん的な存在の眼鏡屋さんに駆け込もう、とかね。
そう考えると、電子機器としてはスマートフォンがはじめて、身体の一部としての存在になったのだろうなあ、という意見はまったくもってなるほど感。まぁ、特異な例としては電子機器を実装した眼鏡とか、人工心肺とかもあるけれど。普及率の限りでは、スマホが最初と見ても問題はあるまい。
情報の取得や公知、通話でのやり取り、さまざまな作業をしたり、情報の検索をしたり。自分の行動を色々と肩代わりしたり、補完してくれる。その観点では眼鏡と何ら変わりない。だからこそ、リソース投入の優先順位も高いものとなるわけだ。
......となると。ゲームアプリのガチャにどんどんお金をつぎ込んでいる人は、そのアプリが身体の、生活の一部となっているのかなあと考えると納得ができるし、それはそれでちょっと怖いような気もする。
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