ネットのミームで喋るのは内輪の間では良いけど「つらい」とか「許さない」とかを本人は肯定的な意味で使っているつもりでも作者本人はそれを見て心を痛めているみたいなことはありそう、と思ったら実際あった。せめて相手に直に伝えるときは伝わるような表現にして欲しい。
— Yanace (@yoh7686) 2017年11月4日
先行する記事でツイッター上に冗談交じりでのやり取りで用いた言葉がNGワードにストライス状態で、アカウントを凍結された人が相次いでいるとの話をした。会話そのものを人の目で読み通せば、馬鹿話的な中でのやり取りであることは容易に理解できるはずなのだけど、該当ワードが含まれる1ツイートだけを抽出したのでは、そこまでは分からない。
アニメの1シーンだけを取り出してそのアニメを語るのが難しいように(名シーンを抽出して評価するってのはいいけど、逆の場合は...)、言い回しによっては語り手本人の意図とは別の解釈を受け手にされてしまうことがある。今件の指摘の場合は第三者であり、関係者にとってネガティブに捉えられてしまうという悲劇。
居酒屋での馬鹿話ならこのような言い回しでもいいんだけどね。ソーシャルメディアでのやり取りの場合は、関係者自身がセルフサーチでやり取りを確認していることも多々あるので、聞き耳を立てられているに等しいと思った方がよい。いや、そこまで気にする必要は無いだろって主張も否定はしないけど、公開の場での発言は、誰が目を通しているか分からないよという大原則は覚え置きしてほしい。
この仕事をやっていて痛感するのは、同じ言葉が人によって驚くほど異なる意味で使われ、なおかつ誰もが自分は他人と同じ意味で言葉を使っていると信じて疑わない点だ。ときどき、人類が曲がりなりにも意思を疎通させていること自体が奇跡ではないかと思うときもある。
— 福嶋 美絵子(はらぺこ翻訳者) (@Eugene_Roserie) 2017年11月4日
これは文筆の上でのお話だけど、会話においてもまた同じ。奇跡云々はさておくとしても、自分が口にした、文章にしたためた言葉が、自分の意図通りに他の人に認識されるとは限らない、にも関わらず自分の考えた・意図した思惑通りに伝わっているはずだと固く信じ込んでしまう。そもそも言葉は自分の意思を他人に伝えるためのツールには違いないのだけどね。
容易な表現にすれば誤解釈の類の可能性は減らせるけれど、読みにくくなる、冗長となる、馬鹿にしているのかと思われるてしまうなどの問題点が生じる。ある程度の誤解は覚悟すべきなのかもしれないなあ......
......と思いつつ、最近では一般の人がやってしまいがちな誤解釈の領域を超えた斜め上の解釈をして、しかもその解釈の上で語った側に罵声を浴びせるというケースが少なからず生じているのを見るだけでなく経験するに、ソーシャルメディアでは文章の読み取りのスキルが低い人でも容易にダイレクトな意思表示ができるので、それゆえの弊害なのかなあとも考えたりする。漫画の表現を斜め上に解釈した上で、その漫画を描いた漫画家の自宅に毒電波的な意見文を山ほど投函したり、電話でクレームをつけるようなものだからねえ。
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