文章が読めない人は、文章を読まずにそこに伏流してる感情に共感するか反発するかを選択して、「共感/反発」という方向を決定させてから単語を適当に拾い集めて書き手が何を言ったかを決める、という読み方をしてるっぽいんだよな。
— 垣内 玲 (@R_Kakiuchi_0921) 2017年9月2日
自分の文章構成力や語彙力の欠如を「相手の読解力の乏しさ」に摩り替えてしまう人はツイッターなんかみていてもけっこう多いなあと感じてます。仰るとおり、相手の揚げ足をとる気満々で敵意むき出しでツイート読んでいたら、良くも悪くも読み手オリジナルの文章になって色眼鏡で読んでしまうだろうなと
— けんちゃま少子化担当大臣 (@rodomangreat) 2017年9月2日
あぁ、これすごくわかります。前半に少し付け足して「目にはいた単語全体から受けるイメージを元に相手の感情を想像し、その感情に共感するか反発するかを選択して、「共感/反発」という方向を決定させてから単語を適当に拾い集めて書き手が何を言ったかを決める」という感じがします。(微修正)
— mhl_bluewind@カリフォルニア (@mhl_bluewind) 2017年9月2日
似たような話は以前もしたような記憶があるけど、ちょいと興味深い関連性に至ったので覚え書きも兼ねて。指摘されている通り、ソーシャルメディアは発言と相手への情報の投げかけのハードルを下げるものであるため、時折奇妙な声がかけられることがある。「何を言ってるのかよく分からない」「こちらの話をちゃんと読めばそのような話にはならないはずだけど」「どこをどう解釈したらそのようなレスが出て来るのか」的な。言葉は通じるけれども話が通じないを地で行っている感じ。
すべてがすべてではない、例えば単一キーワードで条件反射をしてしまう場合もあるのだろうけど、少なからずは語られているようなパターンによるものだと考えると、随分と納得できてしまう。
目の前にある文章をそのまま隅から隅まで熟読するっていうプロセスを踏む人はさほど多く無く、速読のテクニックにもあるように目に留まった単語を脳内でピックアップしてかき集めて勝手に再構築してしまう場合が多い。あるいはその過程で自分の想い込みやら過去の記憶が補完されることもある。文章が読めない人になると、そのプロセスの前に自分のルールをテンプレートとして用意し、そのテンプレートに合致する単語だけを文章から拾って組み合わせて理解してしまう。積み木遊びで丸や三角の積み木だけ取り出して「上手くビルが作れない」と逆切れしてしまうようなもの。
これって少し前に流行った「ある程度文字欠けしていたり入れ違いが生じていても、全体像として認識し脳内で勝手に補完修正してしまうので文意が取れる形で読めてしまう文章」と同じロジックの気がする。てにをはが変だったり、平仮名の場所が入れ替わっていても、ざっと読みする時にはそのまま読み通して、脳内で理解する際に正しいものに補正してしまうというもの。
その補正が自分の都合の良いように行われていると、当然元の文章との食い違いは大きくなるので、文章を出した側からは「何を言ってるんだ、この人は」ということになる。ソーシャルメディアの場合は情報を出す側も、その情報を受け取ってレスを返す側もハードルが低くなっているので、解釈の食い違いによるいざこざも増えてくるのだろうなあ、と。
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