田舎のツラさをコミュニティの観点から

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「田舎」をすべて一つにひっくるめてというのは少々語弊があるけれど、地方では多かれ少なかれこういう状況があることは否定しない(実家では実際それっぽさがあったし、幼い時に喘息の療養で長期間親戚の家に居た時にはまさにこんな感じだった)。娯楽というものがすでに形成されているコミュニティのツールでしかなく、新参者が入れる余裕がないんだよね。これは子供だけじゃなくて、大人になってからも変わらない。よそ者扱いされて石をぶつけられるってことはないけど、なんだか居心地が悪い。

そういうスタイルを作ることで共同体を維持している、守っているのだから、仕方が無いという面もあるけど、新たな要素が入るのは非常にハードルが高い。まぁ、昔と違って今は一人遊びが色々とできる時代ではあるから、ある程度耐えられるかもしれないけど。

その観点では「皆が皆他人の東京は、他人に一番優しい」という発想は非常に面白い。ハードルが低い者同士だから、接する必要がある時には容易に手をつなぎ合える。逆に触れ合う気が無ければ赤の他人同士のままでずっといられるけど。そういう意味では、コミュニティに入らずに肩身の狭い思いをせずにいられるし、必要ならば手を挙げて輪に入れるのも容易ってことて、過ごしやすい場なのかもしれない。


指摘の通り地方でも観光地とか近郊とかなら人の出入りが結構あるので、住民が固定化して強固な共同体となっていないこともあり、ある程度の過ごしやすさはある。例えるならば6年間ずっとクラス替えをしない小学校の小学6年のクラスに転校生として入るととてもツライけど、毎年生徒をシャッフルしてクラス替えをする小学校だったらさほどツラくはないよね、という感じかな。

固定化すると強くなるけど代わりに外の要素は導入し難くなる。これって田舎論というだけでなく、会社の組織とかにもいえることなんだよね。あとは生物の進化論とか文化の体系も似たようなものかもしれない。

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このページは、不破雷蔵が2017年11月10日 06:54に書いた記事です。

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