ほしいのは速くて間違った情報ではなく、正しい情報

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直接の該当ネタはともかくとして、こういう話を想起せざるを得なくなった事案があり。笑って許せるネタとか、社会生活や日常の判断に差し障りのないような対象ならともかく、経済や政治、社会規範に関連するような情報で、速いけど間違った情報を出されて世の中が混乱したり、意思判断を惑わされたり、さらには誤判断をさせられるのはたまったものじゃないなあ、と。災害時のデマなんかが好例だけど。

こういう類の話が続くと、報道を自称する界隈は一次情報だけ流してくれればよい、あとは必要な人が精査をしてくれるからという考えに至ってしまう。速くて間違っているかもしれないってのは、昔ならば一般メディアに許される特権だったかもしれないけど(というか昔は一般メディアが一番早かったからね、伝達性では)、今ではネットが存在するので、その特権は手放す必要が生じている。もっと速く、しかも訂正が可能な存在が
あるのに、間違い上等ってのはどういうことなのだろうか。

いや、人が成す行為だからミスはある。これは仕方が無い。しかし昨今のミスは明らかに意図的な誤解釈だったり、技術不足だったり、一個人の独断と偏見だろうが、的なものが目に留まる。そういうレベルのお話は、今ではネットが舞台であるべきなのだけど。紙やら電波媒体は訂正が難しいからこそ、ネットのような比較対象メディアが登場した今では、もっと慎重になるべきなのに。


指摘の通り、周辺環境が変わっても以前の体質のままで一般メディアがやらかしているのは、権威というか名前に頼っているところが大きいのだろう。だからこそ、今のメディアは、過去の貯金を食いつぶしているような状態にあるとよく言われる。

元々「間違ってるかも知れない」は媒体を問わずの話で、それを容易に修正できるのがネットの長所。また情報のスピーディーな周知もネットのメリット。結局、一覧性とか保有の質感といった、媒体の物理的な長所を除けば、既存メディアの長所は現時点での拡散能力、リーチの大きさでしかないのだよね。それが権威や名前というラベル付けをされて、威光を放っている。そもそもメディアは情報を伝達するためのツールに過ぎず、そのツールをより合理化したのがネット。今後の各メディアの姿勢ってのも、色々と考える必要があると思うのだよね。

受け手がほしいのは新聞紙なのか、新聞に掲載されている情報なのか、とかさ。

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このページは、不破雷蔵が2017年11月11日 07:21に書いた記事です。

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