歳をとって体力が落ちることの最も恐ろしい作用は「好奇心が縮むこと」なんだよなー。夜中に本を読み続けるのがしんどくなると「どうせ読み通せないから」と買うのを控えるようになったり、旅行の時に日程的にはもう一カ所回れるのに疲れてると「さして行きたい場所でもないし」という気分になったり。
— たられば (@tarareba722) 2017年11月9日
歳をとる前に自分の趣味を作っておかないと、好奇心や生きがいが無くなってしまう、特に定年を迎えた後に亡骸のようになってしまうという話はよく見聞きするけど、結局はこの指摘にある通り、老化に伴う体力・気力の減退により、好奇心の縮退が原因なんだろうなあ、と。モチベーションの上限値が下がるとでも表現すればよいのか。あれをやりたいけど疲れるし終わらないからといって投げ出してしまうとか、ちょいと足を伸ばしてみようかという気概が「体力が続かないかもしれないので止め」とストップしてしまうとか。
むしろちゃんと太い幹みたいに好奇心が揺るがなければ、歳をとって多少体力が落ちても新しい体験や新しい知識に積極的でい続けられるんだなと、そういう実例を思い浮かべて納得しています。で、だ。その好奇心の幹を育てるのに必要なのが「ある程度の体系的な教育」と「ヒマな時間」なんだよなー。
— たられば (@tarareba722) 2017年11月9日
好奇心の軸を育てておけば、多少の体力・気力の上限値が落ちたとしても(これは生物学上仕方が無いお話)、アクティブな状態を維持することはできる。何となく投げやりにしてしまうことなく、常に周囲を見渡して自分をリファインさせることができる。以前触れた「情報のアップデートができる・できないは大切」ってのも、結局のところ、この好奇心を育てられているか否かってのが大きいのだろうなあ。
積みプラや積み本もまた、好奇心の維持の修練の一つなのかもしれない......となると、今後デジタル化が進むに連れて、好奇心を育むのは難儀するようになるのだろうか。ファイル一覧でもいいのだけど、味気ない気がするし、それで物理的な存在の積み~と同等の効果が得られるかどうかってのは、何とも言えないなあ、と。
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