オバチャナイズドの実態

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パワーワード的な存在としていきなりノミネートされた「オバチャナイズド」。要はイメージとして色々と浮かんでくるオバちゃん的な行動様式に染まっていくことなんだろうけど、要は対人関係の垣根が低くなるというか、見境が無くなるというか、神経が太くなるというか。

類義語として「オジチャナイズド」なるものも作れることは作れるのだけど、イメージされるものはガンコおやじだったりして、「オバチャナイズド」と比べると随分とタチが悪い。中堅層以降の男女間において統計上でも明らかにされている、対人関係の上手さ下手さの違いがイメージにも、そして実体験としても表れているのかな、と。

男性の場合は定年退職するまで会社ベースでの対人関係がメインになるから、会社勤めという肩書が無い上での他人とのやり取りの機会がほとんど無いので、これは仕方が無いのかもしれない。例えば専業主夫の男性だったら、やはり歳を取ると「オバチャナイズド」化するのだろうか。それとも性別そのもののベースでの、コミュニケーション能力の違いってのがあるのだろうか。


他方、加齢で精神が図太くなる(経験に寄るものだろうな)のはともかくとして、体力や気力の上限値の縮退によって、リソースの割り振りの観点で自意識に充てる量が少なくならざるを得ないってのは、非常に納得のいく話ではある。見かけとか体面のパラメータを維持し続けようとすると、自我すらままならなくなってしまう。

それは自身の本質の喪失でないから、つい自分自身の我が前面に出てしまう。ワガママになるというか自己本位になるというか。見方を変えれば他人周囲への配慮が後回しになってしまう。高齢者が横断歩道のない所を平気で渡るケースが多々見られたリ、信号が赤になっても気にせず渡るっていのうも、若い時の自分の感覚で判断しているというよりは、自我の体現化にリソースを優先するあまり、ルール規範の順守とかをスルーしてしまうのもあるのだろうな。

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このページは、不破雷蔵が2017年11月16日 07:29に書いた記事です。

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