高校生娘のバイトは彼女の経済感覚に大きな影響を及ぼしていて、社会の一端が見え始めたらしい。親にバレたくないからと履歴書不要・時給600円代の仕事をしようとしている同級生を止めつつ「あの子、最低賃金もそれが法律で決められてるってことも知らなかった...知識は身を守る甲冑と刀なんだ」
— ぬえ (@yosinotennin) 2017年11月25日
娘「勉強しなくていい、知識なんて無くても生きていけるって人をこれからは疑ってかかるわ」
— ぬえ (@yosinotennin) 2017年11月25日
定期的に湧き出てくる、義務教育も併せた学校での勉学は日常生活に必要ない、いやある論。結局「ない」とするご意見は一生のうちで学んだことを使う機会が無いように思っているだけに過ぎない。無意識に成される無数の選択、判断の中で、これまでの知識経験がパラメータとして影響を与えているから、具体的に「あ、これ進研ゼミでやったところだ!」みたいに具体的に分かる機会など滅多にない。
リソースが限定されているのなら、そしてある程度未来が見越せるのなら、取捨選択も可能だろう。でもそれはほとんど無理。なので、学校での知識経験は軽んじちゃいけない。得た知識や経験は、その場ですぐに役立つ、頼りになるとは限らないのだから。
その観点では今件のように、実社会と具体的に接することができる、学生時代のアルバイトは、社会勉強という観点だけでなく、今やっている勉強の意味、有益さを認識できる機会を得られるという意味でも、重要なのかもしれない。もっとも鈍い人は、そのような機会を与えられてなお、理解できないものだけど。こればかりは仕方が無い。
ホンマそれ。学校の勉強なんて役に立たないとか勘違いも甚だしい。社会での自分の立ち位置や進むべき道を選び取るためにも知識は必要。その最低限が義務教育のはず。選挙で候補者選ぶにも教養は必要やと思うよ。>RTs
— 植物寄生菌ねこぶちょー(がんちゃん) (@gan_jiro) 2017年11月26日
読み書きそろばんさえ出来れば生きていけるなんてのは精々戦後くらいの社会の話ですよ。その当時だってせめて義務教育の内容を理解していればしなくて済んだ損をみんなしてたわけだから。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年11月26日
震災以降は特に深く感じていることではあるのだけど。教養、知識、論理的な考え方。それらはコンパスであり海図でありGPSのようなもの。それら無くしてどうやって航海ができようか、的な。役に立たないと言っている人は、役に立つ機会に遭遇していない、気がついていない、あるいはできるほどの立場に無かったのだろうな。
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