団塊の世代が今の若者が貧乏であることを頑なに認めないのは、彼らが通った小学校にはピアノもミシンもなく、給食には脱脂粉乳とクジラの竜田揚げが出てきたからだと思う。
— じゃん姉 (@rosysea22) 2017年11月26日
田舎だと水道や電気が間に合ってない子供時代を過ごした人もいるから、貧しいの定義が全然合わないんだよね。
教科書の無償化が1963年とか。
— じゃん姉 (@rosysea22) 2017年11月26日
この年から全ての義務教育期間中の子供がピカピカの新品の教科書を手にするようになった。このあたりから、ずいぶん変わったろうと思う。それまでは教科書は買うもので、使用後は弟妹に譲るために書き込みを禁止された人も多かったときく。兄弟姉妹の多い時代。
この類の話はよく見聞きするのと共に、同時に団塊世代という狭い領域属性ではなく、もう少し幅広い高齢者に渡っていること、さらに世代全体ではなく、一部に限られ、その上、ちゃんと説明をすれば「知らなかったよ、そんなの......」と驚愕して理解するという話も多々あることをあらかじめ記しておくとして(この注意書きも暗黙の了解レベルの話なんだけど、書いておかないとあらぬツッコミが入るのだな)。
自分の経験を絶対真実として刻み込んでしまうのは仕方が無い話。人だけでなく生物は皆、自分の経験を基に自分の考え方をまとめ、判断に用いているのだから。けれど世の中の流れ方のスピードが速くなると、自分が生きている間に大きな変化が生じてしまって、時代遅れなままで取り残されてしまう。加速度的に進んでいく世の中に対し、情報のアップデートができないと旧態依然のままで、経年劣化がひどいことになるってのは、以前も何度か言及したような。
いくらなんでも今の給食でも、脱脂粉乳とクジラの竜田揚げが出ていると思っている人はいないだろうし、水道や電気も十分に普及していないと認識している人もいないだろう。しかしながら情報としてはそれらの事実を知っていても、認識的な部分でそれらの変化に対応していない可能性がある......ってああ、これアレだ。先日の【いちおうねり丸の公式サイトはあるけど】と構図は同じだ。情報として取得できても、それを理解できていない、取り込めないんだな。
なので、今の若年層の様子を見ても、正しい認識ができないのだろう。物事を推し量る物差しが昔のままだったりするのだな。
豊かさ、貧しさは相対的なものだから、環境が変われば基準も変わる。寒くなってきても夏服のままで過ごすのは愚挙でしかないのと同じなのだな。
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