なぜ大人たちは子供を叱るときに「起きて欲しくない未来」ばかり語るのだろう。「勉強しないと高校落ちるよ!」より「いま勉強すればぜったい高校受かるよ!」って言う方が遥かに子供を元気付けるのに。
— 子どもと大人の精神科医 (@yukichildpsy) 2017年11月27日
水が半分入ったコップを指して、コップに水が半分しか入っていないと表現するのか、コップに半分も水が入っていると考えるのか、その違いという感じもするようなお話。人は得てして危険なこと、自分の生命に関わることに強い関心と注意をするので、リスクが発生しうる、よくない可能性を提示した方が、強い印象を与えると思ってしまう。イエロージャーナリズムとか、プロパガンダでよく使われる手。また、ポジティブな方向性のアピールが、啓蒙系とかインチキ商法でよく使われるので、そういう胡散臭さを避けたいって思惑もあるのかもしれない。
確かにポジティブな言葉は絵空事のように聞こえ、白けてしまうかもしれない。ネガティブな話は緊迫感を与えるかもしれない。でもそのような短絡的な効果を期待するあまり、ネガティブな話ばかりで教え諭していると、行動様式、発想が全てそういうネガティブなものばかりとなってしまう。教育の気軽さに魂を売ると、対象がダークサイドに落ちてしまうような。
成功体験が少なかった人は
— ものの腐ごりえ (@gorie666) 2017年11月28日
割とそういう傾向はあるような気がする
あと「自分がした失敗させたくない」系
失敗ははっきりイメージできるけど
成功はそうでもない人
多いんじゃないだろうか
わたしもです
無論すべてがすべてじゃないけど、この説明は納得できる。自分が失敗を多々やっているように思っていると、その失敗の経験が深く刻まれているので、それをどうしても強調してしまう。また、成功は滅多なことでは表現し難いけど、失敗は容易に表す事ができるよね、的な。
まぁ、世の中のノウハウ本を見ても、成功談はなんだかインチキ商法の香りがシュールストレミングのレベルで漂うものが多々あるし、失敗談の方が容易で分かりやすいってのもあるのだけど。自らそれに手を伸ばすのならともかく、教え諭される時に失敗経験ばかりだと、やはり滅入ってしまうのは否めないのだよね。
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