なろう系の小説などを原作にしたウェブ漫画をいくつか巡回に入れているのですが。原作に目を通すと、少なからずが「あ、これ勢いとか設定作るの好きで書き始めて、途中で辻褄が合わなくなったり飽きていい加減になったな」というパターンで、漫画への注力も落ちてしまったりします。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2017年11月30日
最近はラノベや投稿系小説サイトでヒット作を抽出し、それをウェブ漫画化し、紙媒体の単行本として発売してセールスを確保するというパターンが一定のフォーマットとなりつつある気がする。アルファポリスは元々ウェブ漫画の集大成的な場でそこから単行本化するという様式だけど、さらに原作もウェブで投稿してもらってよいものを......となると、紙媒体の雑誌の役割がウェブに移行した、しかも投稿ハードルが随分と下がったような感がある。
で、当方もサイトの巡回とかツイッターでの紹介を機会にその類の漫画を斜め読みして、気に入ったものは巡回リストに入れて購読したり、さらには単行本そのものも買っていたりする。「ゲート」とか「とあるおっさんのVRMMORPG」がよい例だし、すでに終わったけど「まおゆう魔王勇者」もそのパターン。
ただ最近は、ツイートに記したようなものが目立ってきたなあという感じがする。勢いとか思い付きとかフラッシュアイディアの類で書き始めたら結構上手く行ったのでもりもり進めて、それに伴い漫画化も始まったよ的なもので、確かに漫画も面白い。描き手のタッチや手法が自分の好みだったというのもあるけど。そこで原作にも目を通してみると、あらあらうふふじゃないけど、しばらく話が進むと勢いが失速して、なんだかぐだぐだになってしまっている。
ああ、これ、書き手が飽きたか辻褄が合わなくなって、惰性で書いてるなという雰囲気がシュールストレミングな香り状態。いや、気持ちは凄く分かる。いわゆる設定厨というやつで、物語だの架空の世界だのの状況を色々と考え、プロットを組むのがとても楽しい。でもいざその状況でスタートさせると、熱意もあっという間に醒めてしまう。遠足は前日までが一番楽しい、みたいな。
そういう流れを知ってしまうと、ウェブ漫画の方も「この話はじきにぐだぐだになる」というのが分かってしまい、読むモチベーションが落ちてしまう。残念なお話ではある。
これ関係で。織田信長が「保険はかけてある」という言葉を使っていて、違和感を覚えて調べてみたら、概念はともかく言い回しそのものはずっと後になってからだったり。そこは「手は打ってある」とすべきだったのでは、とかね。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2017年11月30日
「コミカライズの過程でそうなったのかな?」と思って原作小説を読むと原作に忠実だったりするので、謙譲語、古語、持って回った言い回しが必要な場面の描写が苦手な著者が、思いがけず多い感じです。というか、「重々しい発言をすべき人物が、現代人日常口語で喋ってる」と萎えるw@Fuwarin
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年11月30日
ちょいと話はずれるかもしれないけど、同じような場で気が付いたこと。ラノベやなろう系でそこまで気にし出したらきりがない。それは分かるし、恐らくは読み手が理解しやすいようにあえて今の言い回しに変えた可能性もあるのだけど、こういう話があると、読んでいる最中に話の世界に吸い込まれていた自分が、すっと現実に引き戻されてしまうのだよね。舞台劇で書き割りの裏側に居る人が見えてしまったり、テレビの時代劇で飛行機雲とか電信柱が見えてしまうような。
さりげない話ではあるのだけど、この辺りはもう少し気を使ってほしいかなあという気はする。
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