「若気の至り」は誰にもある現象なのか

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芸能人や有識者が時折インタビューや雑談の中で、自分の若い頃はヤンチャをしたものだという感じで、昔の犯罪歴を披露してむしろ誇りのように語る場面がある。バイクを盗んで走り出したり、学校のガラスを割って云々ってのがよい例かな。

それらはすでに時効が成立しているのだろうし、若い時にありがちな暴走行為だったから別にいいじゃん、むしろ若い時の本質を隠すことなくあからさまにしたのだから誉めてもよい的な語りだったりするのだけど......やはり首を傾げざるを得ない。

バイクを盗んだり学校に忍び込んで窓ガラスを割るってのは問題外で、暴走行為や万引きなどもあわせ、「子供ならば誰にでもあること」なのだろうか。当方は万引きもバイクでの暴走行為も、窃盗も万引きもしたことがなかったし、多くの人もそのはず。未成年者の犯罪動向を見ても、数そのものは相応にあるけれど、年齢階層人口で勘案すると、1%にも満たないはず。そういう行為を「誰にでもある」という認識で誤魔化すのはいかがなものだろうか。まさに「語った本人に問題がある」。

あるいは今より子供の犯罪発生率が高かった、前世紀、特に戦後しばらくの間の時期のことを指しているのかもしれないなあ。ならばある程度は納得ができる。けれどもしそうなら、まさに情報のアップデートができていない。

もっとも恐らくは、語った本人の周囲で似たようなことをしていた人がたくさんいた、つまりその人の子供の時の環境自身が劣悪だったという可能性も無きにしも非ずなんだけどね。

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このページは、不破雷蔵が2017年12月 4日 06:48に書いた記事です。

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