えふわらが当時勤務していたN社、コストカットと称して、各研究部の秘書さんを雇い止めして事務は各研究員が負担することになったんだが、つまりそういうことですよ。経営者の目先のコストカットは、この事態の原因のひとつである。
— 元えふわら (@efuwara) 2017年12月8日
化学の研究やってる友人から「簿記の初歩を教えてくれ」と頼まれたんだが...こっちは『先生1人対生徒1人』の個人教授やるつもりだったのが...研究員全員を生徒って事で...と、話しが広がっててビビった。
— 非 後悔(^^ゞ せらむん教大司教 (@MIKAGUTI) 2017年12月9日
君たちは化学の博士だろ?簿記なんかやってる場合なのかい?って、思った。
簿記が面白いか、覚えるのが簡単なのか関係なく、研究者が簿記までしてトータルの効率が改善するのかどうかという問題。医師もそうだが、人件費の高い専門家が専門外の仕事をさせられているのが日本の生産性の低さの原因なのだ。 https://t.co/proK5NNDBG
— 元えふわら (@efuwara) 2017年12月10日
研究員や専門職にある人は、その主事業を成すために存在しているのに、他の雑務に追われてしまったのでは、効率の良いどころかまともな力の発揮もできやしない。そのために事務員や総務や雑務係というのが存在していて、それらの人たちは自身では目立った功績を上げることは無いけれど、縁の下の力持ちとか黒子的存在で、全体を支える大切な役割。
お店ならばお掃除をする人とか、商品をお店に運ぶ人。軍隊ならば各種計算をしたり補給をする人。それらが実績を直接挙げていないからと、無駄だから切り捨てると、主事業にある人がそれらの雑務にも追われることになる。補給の無い軍隊がどうなるか、現地調達するの? 無茶ではある。しかしそれと似たようなことが、今の「無駄の切りつめ」「節約」という言葉で振り回されている。
そりゃ色々な方面への雑学を触っておいた方が、知識や発想法で新たな見識が得られるかもしれない、その観点では色々と手をつけておいた方がいい。けれど、それにかまけて本来やるべきことのリソースを食われてしまったのでは本末転倒。かつての魔女裁判的な「公開仕分け」がよい例で、世にアピールする営業・広報的役割を、現場の人たちにさせてしまう辺り、おかしな話。
というか「専門職に専門職をさせつつ新たな業務を今から覚えさせて、2時間かけて仕事を片付けさせるくらいなら、新たに簿記の専門家を雇え」て話なんだよとね。>RT
— KGN (@KGN_works) 2017年12月10日
というかその「業務を覚えさせる」がコストだという頭が無いのがいかん。
「専門職は元通りの専門職としての業務を継続しなさい」
— KGN (@KGN_works) 2017年12月10日
「新たに事務系の仕事を覚えなさい」
→物理的(労働時間の)オーバーフロー
なんだけど、オーバーフロー分は無駄なコストだよと。
どのみち、元の業務のボリュームを減らさないと、事務系の仕事を押しこむ時間は無いからね。
簡単に「アシスタント」を切った人達は、ちゃんと業務を考えるトレーニングして無かったんだろうねえ......
— KGN (@KGN_works) 2017年12月10日
「そこらにいる奴に顎をしゃくっておけば、なんとなく出来上がる」程度の認識だったのか。まあその程度の能力だったと考えれば、色々説明はつく気が。
専門的なことをする人に他の雑務を与えることで、一時的にはその雑務についていた人たちの人件費を節約できるので、コスト的な効果が出たように見える。けれど確実に専門職の人たちの専門業へのリソースは削られるので、結果的にはマイナスとなってしまう。要は、目先のお金勘定しか能がない人たちの所業なんだよね、事務職などを削ったり追加しないってのは。
まぁ、お金をまともに使えない人は、単なる無能でしかないってのは、しっかりと認識させる必要があるのだろう。金額的に削れば大戦果、功績を上げた人は有能ってのがまかり通っているってのは、結局自分の首を絞めるだけなんだけどな。
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