日本に来てる外国人がカタコトで語彙も少なく稚児の如き喋りしかしない、という一点のみで彼らを馬鹿にしてる連中は、実は彼らが本国に帰ればその馬鹿にしてる連中よりも高学歴だったり優秀な技能持ってる可能性を考慮することから逃げている。
— 紗汐 冴 日曜そ29a (@shiosae) 2017年12月14日
ウチらだって外国に行ったらカタコト以下の言葉でしか喋れないし、まあ諸国の小学生レベルなら良い方なんじゃないの?
— 紗汐 冴 日曜そ29a (@shiosae) 2017年12月14日
でも日本での学歴や技能はそうじゃないよね。それと同じ。
外国人だからウチらより劣るので安くこき使えるって発想は貧しすぎる。
先行記事の自動翻訳で、ちょいと変な翻訳結果が出てそれを笑うのはいいけれど、本物の人間がウケを狙うためではなくて、真剣に意思疎通を考えた上で、言葉が足りなかったり習得がまだ完璧でなくて片言の語りになっている様子を見て、それをあざ笑う、卑下することがいかに愚かな事か。それが例えばスピーチコンテストの場で、語りの技術を成す場であるのならいざ知らず。
指摘のある通り逆の立場ならどうなんだろうか、それを考えればすぐに理解はできるはず。エラー、イレギュラー、期待した挙動と異なる結果に面白みを感じるのは人の本質の一つではあるけど、それをもし覚えたとしても、対象に向けて表現するのは失礼でしかなく、それを体現化するのは大人のやることではない。
昔、外国人力士が珍しかった頃、その力士がインタビューで「自分にとって相撲は喧嘩だ」と言った。その発言が角界内外から凄く叩かれた。
— 紗汐 冴 日曜そ29a (@shiosae) 2017年12月14日
いわく、「所詮外国人に相撲の心は理解出来ない。下品だ」と。
でも自分は、当該力士は「自分にとって相撲は真剣勝負だ」と言いたかったんじゃないかと想像する。
想像するというのは、当該力士が叩かれてる最中も、もっと日本語に堪能になってからも一切言い訳や申し開きをしなかったから。
— 紗汐 冴 日曜そ29a (@shiosae) 2017年12月14日
でも少し考えてみれば、来日間もない外国人に細かいニュアンスを伝えるだけの語彙力があったとは思えない。
その時の彼が知りうる一番感覚に近い単語を使っただけだろう。
喧嘩という単語自体、当該力士がどういう覚え方したのかすら確かなことは解らないのだ。
— 紗汐 冴 日曜そ29a (@shiosae) 2017年12月14日
願わくば、何故親方は彼をかばってやれなかったのだろうか。
なによりそれが不快で仕方が無かった。
実はその辺の言葉の行き違いは、日本人同士でも簡単に発生する。
— 紗汐 冴 日曜そ29a (@shiosae) 2017年12月14日
国内東西南北を大きく引っ越ししてみればよく分かる。
方言という障壁は子供に特に重くのしかかることがある。大抵は酷い衝突にまでは発展せずに馴染んでいくことも多いが。
周りの大人が配慮が足りないと簡単にこじれる。
言葉というのはコミュニケーションのツール。そのツールの取得が完璧でないと判断できそうな相手とのやり取りでは、意思と発した言葉との間に齟齬が生じる可能性がある。日本語が堪能ではないと判断できる人の言に関しては、そこを推し量る必要があるのではないかな。
そしてこれは指摘の通り、言葉を習得しきれていない、まだ経験が浅い子供達の間では良くある話。方言でも起きうる。まぁ、悪意のない人による配慮がなされていれば、随分と状況は改善されるはずではあるのだけど......。
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