お、昨日の危ない写真(イヌサフランをニンニクと間違えて紹介)のtwは消えてますね。その方が安全でしょう(否定語を読まない人もいるから紹介しませんでした)。
— KGN (@KGN_works) 2017年12月14日
なお、イヌサフランは毒を全ての部位に持つ毒草です。https://t.co/AiKOjtwRhC
そうそう、「否定する話を書いても、それは読みたいと思ってないから読まない/聞きたいと思ってないから聞かない」という人は『どの社会的集団にも存在する』から注意が必要です。
— KGN (@KGN_works) 2017年12月14日
高学歴だし大丈夫でしょ、は通用しないと思ったほうが良いです。
今日、MRさんが事情説明に来られまして。
— KGN (@KGN_works) 2017年2月24日
この説明にどうにもヤバかったのがアラフィフ氏。
「え、そんな効果あるんですか、凄いじゃないですか」と。アホか。
...即座にカットインして「適用外だし勧めてないですよね、研究一個もないし」とMRさんのフォロー。
バカ医者もいます故。
実例がコレ。
— KGN (@KGN_works) 2017年12月14日
MRさんが「公共放送で流した内容は間違いです」とわざわざ説明に来たのに「え、そんな効果あるんですか凄い」と言い始めた医者とか。
どこの集団にも必ず「聞かない、読まない」人が紛れてますので......https://t.co/l10yyxSfGQ
先日記事にした「スマホの普及でますますつまみ食い文化が浸透している」という話をしたけど、それと連なるお話。元々文章を読むプロセスでは、文中の重要なキーワードを中心に読み通すという閲読スタイルが多かれ少なかれ誰にでも身についているのだけど、中にはそれが度を越している、文脈を容易に違えるレベルでやってしまう人もいる。スマホのようなざっと読み、限られた文章内で素早く読むことを求められるような媒体での閲読に慣れてくると、その傾向が強くなる。昔流行った速読もそれに近いやり方ではあったのだけど。
で、そのつまみ食い的な読み方において、自分が気に入らない、嫌悪したくなる、自分の思っている事を否定するような内容に関しては、深層心理的な部分で除いてしまう傾向が誰にでもある。それが一定領域を超えたレベルになると、いくら間違いを訂正するべく文書を出したり話を伝えても、上手くその意図が伝わらないことになる。
良いところ取りは自分を心地よくする一つの方法論かもしれないけれど、事実と違える情報を取得してしまい、それを信奉することにもなりかねない。「赤信号はみんなで渡れば怖くないというネタ話があるけど、あれは単なるジョークであり、赤信号は渡っちゃいけないのだからね」と伝えても、前の部分だけ認識して「赤信号は渡っていいんだ」と理解しかねない。そういう事がありうるから怖いのだな。
で、こういう「読まない、聞かない」人対策って基本的に「ない」んですよ。
— KGN (@KGN_works) 2017年12月14日
どこを読むか・聞くかは本人が決めるから。
次善の策としては『できるだけ短い文章で提示する』かな。
ちょっと難しい説明になると、単語を「テキトーに」拾い上げて謎解釈をくっつけてしまいますので。
基本的にそういうことをやらかす人への絶対的な対策は無い。読むところは自分で決めてしまうのだから。次善策、保険的なものとして、極力短くして、読み飛ばしが無いようにするしかない。某ニュースでの「三行でまとめると」がよい例。
『できるだけ短い文章で提示する』それを悪用して誤読をさせたり扇動を日常茶飯事的に成しているのが昨今の報道なのですよね。「『分かりやすい』が『正しい』とは限らない」。これ、至言です。https://t.co/B0FNoXNgzh
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2017年12月14日
『わかりやすい』をどう作るか、というノウハウは蓄積してますからね。
— KGN (@KGN_works) 2017年12月14日
もっとも中身がトンチンカンな報道の場合、『書いてる本人が単語の拾い読みをしている』『その上で、自分の腑に落ちる短文を書いてる』という可能性が否定できないように思いますが... https://t.co/wkGmStaS9M
「『わかりやすい』をどう作るか、というノウハウは蓄積」→分かった上でやっている→アウト
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2017年12月14日
「『書いてる本人が単語の拾い読みをしている』『その上で、自分の腑に落ちる短文を書いてる』」→スキルが絶望的に足りない→アウト
どちらにしてもアウトでFAhttps://t.co/shNQQDuLrK
で、だな。これを悪用しているのが一部の報道媒体。「分かりやすいが正しいとは限らない」は繰り返している言い回しだけど、タイトルで、あるいは本文ですらも主旨を違えたり誘導する形で「事実として報じる」ケースが多々ある。今の報道の中の人たちが、意図的にやっているのか、技術が不足してこうなっているのかまでは分からないけど、どちらにしても失格レベルでしかない。
感情表現をタイトルに用いたニュースは、基本的にニュースでは無く論説ですので、パスをするのが賢い取捨選択方法です。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2017年12月14日
感情表現には共感をしやすいという特性があります。書き手がその特性を利用し、主旨に誘導しようとする思惑が出ているのです。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2017年12月14日
併せてこちらも。論説的な話はともかく、事実情報の伝達を成すべき報道で感情表現があった場合、少なくとも10歩ぐらいは引いて読み通した方がよい。感情表現には共感をしやすいという特性、魔力的なものがある。それを事実報道で使っている場合、書き手がその特性を利用して、書き手側の思惑に読み手を誘導しようとする思惑があるからね。
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