British FM Boris Johnson drinking peach juice from Fukushima, showing the products from Fukushima are safe. pic.twitter.com/1QJyC9FmQB
— KONO Taro (@konotaromp) 2017年12月14日
河野大臣のこの英語版ツイートについている奇形を揶揄するレスやデマ画像を見ると、日本の政府と報道機関がこれまで7年かけて行ってきた福島への差別対策の「成果」が垣間見えて泣きたくなります。
— 林 智裕 (@NonbeeKumasan) 2017年12月16日
こういう偏見と差別の視線にさらされているのは、なにも福島の住民だけじゃない。日本全体の問題。 https://t.co/jHa57cwIB0
福島だけじゃない。次世代を生きる日本の子供たちに我々の世代が引き継ぐべきものは何か。
— 林 智裕 (@NonbeeKumasan) 2017年12月16日
廃炉問題だけではなく、差別までをもみすみす引き継ぐつもりなのか。
そんなものまで残すわけには、いかない。我々の世代でやれること、やるべきことはまだまだあるはずだ。
報道、特に新聞に関わる人たちの実情を大いに認識させてくれるようになった、可視化性もまたソーシャルメディアの特性の一つ。意思表現ハードルが低いので、ついつい本音が出てしまう。自分のノートの走り書き、居酒屋での戯言のつもりで、不特定多数への、世界に向けた情報発信であることを認識しきれていない。アルタの電光掲示板に向けて語っているよりも大きな発信力になっているというのに。
先日、イギリスのボリスジョンソン氏(ぱっと見だとトランプ氏に似てるんだよなあ)が河野外務大臣から提供された福島の桃ジュースを飲んだツイートに、指摘の通りに心無いリプライが多数見受けられる。そのリプライを受けてのお話。
個人的にはちょいと違う解釈をしている。昔からこのような不逞の輩は一定率存在していて、今と同じように不適な発言をしていたのだろう。ただそれが、拡散力を持たず、発信する情報の射程も短く、当事者に投げかけられることもなかった。テレビに向かって愚痴をこぼす、そのような程度。
しかし現在ではソーシャルメディアを使って世界に向けて発信ができるし(受信をするか否かは人それぞれ)、当事者に直接投げかけることもできるようになった。昔ならば愚痴をチラシの裏に書いてすっきりという程度だったのが、今ではその愚痴を書いたチラシを直接本人の家に貼り付け、貼られたチラシを不特定多数が閲覧できるような状態。
つまり今件もまた、ソーシャルメディアの可視化によるものに過ぎず、昔と比べて偏向が悪化したというわけではないのだろうなあ、とは思う。ただ、貼られたチラシを見る機会が増えたことで、それに扇動されて、誘発される形で同じようなことをする人が増えている可能性はある。ただそれは、元々有していたものが体現化したまでの話であって、半ばあぶり出しのような気もするのだけどね。
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