暴言や直言が売りのテレビタレントを、とりあえず票が取れるからと政界に担ぎ出して、一議員ならいざ知らず首長にして地方行政の現場を握らせて、テレビや芸能界の論理そのままに、思いつきで目を引く「カイカク」をやらせて、結果グダグダになったのが大阪なんですよ。
— 松本創 (@MatsumotohaJimu) 2017年12月19日
漫才師の「社会派ネタ」を過剰に持ち上げて、大学に呼ぼうとか言ってる人たちの中には、あの首長を批判してた人も多いと思うけど、そういうこと知らんのかね。漫才師はどんなネタやってもいい。それは当然。だけど、あくまで劇場やテレビの中だけの話なの。その論理で社会を動かせば、社会が壊れるの。
— 松本創 (@MatsumotohaJimu) 2017年12月19日
インターネット、特にソーシャルメディアの普及とスマートフォンの利用率のアップで、情報発信が容易にできて不特定多数に意思を伝えられることのハードルが思いっきり下がったことによる弊害......というべきなのかな。こういう話はよく聞かれるようになった。
漫才師やテレビタレントに限らず、芸能界で活躍している人は、基本的に「メディアの中での演技」を売りにしている。いつも悪役を演じている人が、素の人間性でも悪であり、悪人の素質があるというわけでは無い。よく聞く話だけど、冒険漫画を描く人が冒険家であるわけではなく、ヒーロー小説を書く人が本当にヒーローなわけでもない。作品やメディアの中での所業は、あくまでもその架空の、設定された世界の中での存在であり、現実とは別物。
スポーツだって同じ。ボクシングをしている人はパンチ力や瞬発力に長けているのは確かだろうけど、それを行使してよいのはリングの中だけ。リング外でそのパンチ力を使ったりしたら、お縄になるのは容易に理解できる。剣道のプロが道端で木刀を振り回すとか、F1レーサーが公道で時速数百キロを出して走らせるとか、そういうレベルのお話。
テレビタレントをはじめとする芸能人も、基本は台本に書かれたことをやっているのに過ぎない。地で活躍している人にしても、テレビやラジオ、劇場の中であるからこそ「舞台の場でのやりとり」ということなので許されているだけの話。そのような場は現実とは違うのだよ、という前提があるからね。
でも現実は別物。にも関わらず、現実と舞台とをごっちゃにしたままで振る舞うのは困りものではある。舞台では自分の都合の良いように世界が回っている。いわば神的な存在。だけれど現実はそうじゃないんだよね。
まぁ、舞台でちやほやされると、その舞台世界と現実との境界線があいまいになって、現実でも同じようなものだと誤認してしまうってのは理解できなくはないのだけど。しかし理解できるか否かと、許されるか否かとは別の問題なんだよね。
引用元では大阪の話が出てるけど、今の東京都知事も似たようなものじゃないかなあ、と。舞台で有能なヒロイン役に仕立て挙げられたからといって、現実でもヒロインになれるわけではないし、有能であるとの保証もない。
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