ここ最近の気づきとしては、「他人が何を言ってるか理解してない人は自分が何を言ってるかも理解してない」ということですね。
— 垣内 玲 (@R_Kakiuchi_0921) 2017年12月27日
「喧嘩を売った自覚がない」という表現がすごくわかりやすくて、自分の言葉がどういう意味を持ってるかを自覚するのってそれ自体が割と高度なスキルなんだなと。
— 垣内 玲 (@R_Kakiuchi_0921) 2017年12月27日
これはややひっかけ的な表現で、相関関係みたいなもの......かな。要は、他人の言及を理解できる能力に欠けている人は、論説能力が低いので、自分の言及に関しても何を意味しているのか、どのような意味が相手に伝わるのかを理解していない場合が多いというもの。思いっきりぶっちゃけると、言語の理解に乏しくて、他人の言葉もよく理解できず、自分の発する言葉も理解切れていないという感じ。
「喧嘩を売った自覚がない」というのは、以前説明した「思っただけなのに」に通じるところがある。自分が口にした、ソーシャルメディアで公知した言及がどのような意味を持ち、他人に伝達されていくのかを理解しきれておらず、その言及で生じた事象を自分の責の物であるとも理解できない。子供がいたずらで自動車のエンジンのキーを回してアクセルを踏み込んだら自動車が突っ走って壁に激突したけど、仕組みを理解していないので何でこんなことになったのか分からない、自分は悪くないという感じ。
生徒に記述の問題解かせるとその辺はよくわかります。自分が何を書いたのか理解してる生徒はそれだけで相当高い学力があると言って良いですね。
— 垣内 玲 (@R_Kakiuchi_0921) 2017年12月27日
まぁ、今件で語られている事柄のどこまでが裏付けを取れているのかの確証はできないけど。色々と納得できるところはあるし、合致する経験もいくつかしている。言葉そのものは容易に利用できる、伝達が可能になったけど、その言葉自身の使い方、効用についての知識の習得、経験の蓄積が追いついておらず、まさに子供が自動車を乗り回しているような状態にあるのではないかな。炎上事案も多分に、その「子供が自動車を乗り回し」た結果の事故だと考えると、納得はできたりする。
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