今年を一言で例えると
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2017年12月30日
「化けの皮がはがれた」
になるのかなあ、と。先のリベラルやフェミニズムだけでなく、報道メディアがよい例ですが。
まぁ、ぶっちゃけるとこの数年は、毎年が化けの皮が剥がれまくりという感じではあるのだけど。今年はこれまでと比べて、はがれた化けの皮の枚数が多かったかなあ、という感はある。米国での大統領に絡んだ情報攻撃というかメディアの本質が問われる姿勢を筆頭に、フェミニズムとか弱者ビジネスまわりとか、モリカケに代表される報道のありかたとか報道界隈の従事者の姿勢とか。
ツイッターに限定しても、自称していたりプロフィールにフェミニストであることを語る方々の、迷走やら暴走やら実情の暴露が成された年ではあったのも印象的。リベラリズムの崩壊ともいうべきなのだろうか......というか、自らが設定したモラルを絶対正義として、自分の意思を強要したり正義の棒をふりまわして他を攻撃するといった、モラハラが荒れ狂った年ではあった。
昨年は鳥越俊太郎が知事選に出て来て「これがジャーナリストだったの?」という声が広がった。今年は、鳥越俊太郎が特別じゃなくて、他もかなり変だなあ...という印象が広がった。このままいくと来年は、現実の社会とマスコミ各社とのズレは、もっと広がりそう。
— 斉藤久典 (@saitohisanori) 2017年12月30日
これは指摘されるまでごく普通の認識としてしかとらえていなかったので気がつかなかったけど、言われてみれば確かにその通り。あの都知事選のジャーナリスト候補者の酷さと、それを「支持」した人の主張はあまりにもずさん過ぎたけど、それが実はごく普通の、ジャーナリスト、報道全般の常識だったんだな、と。報道とかジャーナリズムは絶対正義なものであるとの前提があって、それにまたがってやりたい放題やっている図式がどんどん可視化されている感じだ。
今年はさらに加速化するのだろうなあ、と。戊戌(つちのえいぬ、ぼじゅつ)ってのはそういう年のようだし。
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