中国語や英語がそれなりにできるようになったら、海外や日本に対する見方が変わったし、ゲームエンジンの勉強始めたらゲームの見方、家庭菜園やったら野菜や虫の見方、デッサンやり始めたら様々なモノや作品の見方がそれぞれ変化した。
— 一周 (@atw01) 2018年1月7日
勉強というものの楽しさの一つだよなぁこれ。
知識は最強のAR... https://t.co/OZW0Svx6sX
— 蟹 (@kanipuffin) 2018年1月7日
知識もまたツールの一つであることを考えれば、むしろ「新しいツールは最強のAR」とした方がいいのかもしれないけど、それではあまりしまりが良くないのであえてこのままで。言語を新しく習得することで、手を伸ばせる範囲が広がるし、これまでよく分からなかった世界が新たに見えてくるようになる。知識を得てそれを自分のツールとして使いこなせるようになると、そのツールで歩める領域の分だけ、自分の情報取得領域が広がっていく。
子供の頃には自宅と学校、その周辺にしか足を運べなかったのが、上の学校に上がっていける場所が増えたり、自転車に乗れるようになって遠出ができるようになったりするに連れ、自分の世界が少しずつ広がっていく。今ではスマホでネットを利用できるようになれば、色々な場所の情報を取得でき、一気に世界が開けてくる。まるで大航海時代のようでもある。
その新しい扉を開くカギは、実に多種多様。自分が手掛けていなかった方面の知識やツールを使えば、それらはパスポートとなり、扉を開けてその先の世界をのぞき込んで足を踏み入れることができるようになる。
たとえその世界にどっぷりはまり込むことが無くても、AR(拡張現実)として認識できるようになる。それだけでも自分の思考領域はけた違いに膨らんでいく。単に広くなるだけでなく、新たに手に入れた経験や情報が既存の情報と化学融合を起こし、累乗的な成果を生み出せるようになる。
そのようなことを考えると、それをダイレクトに体験させてくれる、今のVRとかARってのは、実に多方面への可能性を秘めていると思うのだな。知識で得られるARのメリットを、雑かもしれないけどダイレクトに取得できるようになるのだから。
コメントする