最近「自分は無知だから」と無知を武器に無双するスタイルが流行のようですが、この考えは間違いです。「自分は無知」と口にした時点で、自分の無知を知った事になります。その上で学ばずにそのままの状態を維持し続けるのは、単なる愚か者なのです。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2018年1月4日
先日の某炎上反社芸人M氏がよい例ではあるのだけど、昨今において「自分は無知だから何をしてもよい、どんな判断をしても免責される」という所業を成す人、自分が弱者であることを無敵の免罪符として用いるスタイルが流行っている感がある。具体的なマニュアル化はされていないはずだけど、雰囲気として感じ取って「それなら俺も」というところがあるのだろうな。遠因としてはポリコレとかモラハラ辺りの「弱者自称の強者」の所業も影響しているのだろう。
で、この考えは正直筋違いというか間違い。「自分は無知である」と主張した時点で、自分が無知である事は知っている事になる(ソクラテスの「無知の知」みたいなものだ)。その上で、何も成さずにそのままの状態で居続けることを望む、実行しているのは、単なる愚か者。自分は愚かであることを主張しているのと同じであるし、それは武器にも何にもならない。
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— moltokeRumia1p (@moltoke_Rumia1p) 2018年1月4日
自分は無知です=議論の前提となる知識を知りません=議論に参加する資格がないですという話なのが分かってない方々になります。
優しく言っても、では語る前に前提知識を学んでからお越しくださいというお話で終わりです
それを考えると「半年ROMれ」というのはよく出来た言葉だなぁと(感涙
— Ikunao Sugiyama (@Dursan) 2018年1月4日
(´;ω;`)前提知識は共有しようって言い換えだったんだなぁと(追憶
— moltoke◆Rumia1p (@moltoke_Rumia1p) 2018年1月4日
無知であるのは前提となる情報を取得していない、つまり参加資格がない。語るのは自由だけどその語りに意味も価値もない。当然中身がアレなものばかりになるだろうし、それに対してはツッコミが多分に入るし邪魔になるから黙ってろと怒られる。授業中に勝手にしゃべり出したり暴れる、学級崩壊のようなものは許容されない。ならば講義から出て行って外でしゃべっていなさい、と。
その観点ではまさにネットスラングの「半年ROMれ」というのは至言ではある。前提となる情報を十分咀嚼してからでないと話のやり取りには入れないし、入っても見当違いの内容ばかり口にしてしまう。当然、指摘を山ほど受けるし、間違った内容を大声で語れば非難も受ける。
...ああ、これってアレだ。【「物言えぬ社会」って「RTやいいねしてもらえない」ってことだよね】と根底は同じだな。
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