新刊のゲラチェックやってるんだけど、校閲さん、「黒人」「移民」という単語すべてに鉛筆で「差」と書きこむの、鬱陶しいからやめて......。(差別語であることを注意する略語)
— 山本弘 『BIS ビブリオバトル部』 (@hirorin0015) 2018年1月16日
いわゆる自主規制的な流れの一端を知ることができるお話。単語レベルでそのような解釈もでき得るものに対し、片っ端から警告チェックが入って鬱陶しい、柔らかな表現ならば作業の上で精神的な影響が生じるから止めてほしいとの話。
これ、校閲側の考えがつかみきれなくて。単にそのような単語に対して機械的に反応しているだけなのか、そういう言葉を使う事自体がおこがましいと認識しているのか、これらの言葉を使うとうるさ方が好ましくないとの反応を示して対応が大変なので避けた方が無難だ・リソースの無駄にならないという認識なのか。
機械的反応ならば校閲としての存在意義が疑われるとの判断があるかもしれない。自身の思いとして「使うな、失礼だろ」というのなら職務的権限を濫用したモラハラにもなりうる。外からのクレームが怖いからというのなら書き手よりもそういう界隈の方の声を優先するのかな、という認識ができてしまう。
もちろん文章全体を見れば、まったく差別的なニュアンスなんかないのは歴然としてるんだけど、文章を見ずに単語だけ見て、「黒人」「移民」にかたっぱしから「差」と書かれると、逆に「こいつ、差別問題についてまともに考えてないんだな」と思えちゃうよ。
— 山本弘 『BIS ビブリオバトル部』 (@hirorin0015) 2018年1月16日
「差」というのは、「これは差別語ですから注意しましょう」「なるべくなら使わないでください」という校閲さんの意思表示なんで、NGではありません。作者としてはべつに従わなくてもいいんです。
— 山本弘 『BIS ビブリオバトル部』 (@hirorin0015) 2018年1月16日
でも、鬱陶しいです。
「差別だと 騒ぎし方が 差別者だ」とは当方がおりを見て使っている言い回しではあるのだけど。まさにそれを思い起こさせる話には違いない。あるいはいつもの必殺技「わたしが差別だと思ったから差別なの」なのだろうか。
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