妹の息子がゲーム実況ばかりみてると聞いてムムってなったけど、実はみんなが遊んでるゲームを買ってもらえないから動画みて会話についていこうとしてるのだと気づいて、ファミコンもってないのにファミ通かかさずチェックして誰よりも攻略法に詳しかった小学生の自分がダブって複雑な気持ちになった。
— IDA-10(菊地麻比古) (@IDA_10) 2018年1月14日
変な顔とポーズをするのがテンプレートになっているのかなあという素直な感想を動画一覧を見るたびに心に抱いてしまう、ゲーム実況動画。対象ゲームを持っている人には参考プレーとして役立つのだろうし(要はチュートリアル)、単にプレイをしている人の挙動が楽しくて物語を読み進めているような気分になるのかもなあ、という気もする。テレビでやっているあれこれが、シナリオとしてゲームを使い、動画上で展開しているだけの話だからね。
で、そのゲーム実況動画のもう一つの効用として挙げられたのがこれ。要はゲームの内容を具体的に知るために、ゲームプレイの様子を見て覚え、理解しているとの話。この発想は指摘されるまで思いつかなかった。要は知ってるふり、遊んでいるふりをするため、あるいはそこまで行かなくとも実際に遊んでいる人の話を理解して、少なくとも話に追いついていくための情報取得手段として、動画を使っていると。旅行に行けない人が、旅行先のイメージ映像を観て言った気分になる、情報を入手するのと同じだな。
また、以前はファミ通などのゲーム情報誌を隅々まで読み通し、ゲームで遊んでいる人の話に入る、ついていくってのは、当方も経験している。また昨今でもスマホアプリゲームなどではそれに近い状態。
他方、複雑な気持ちになるのは当方も同じだけど、この類の行為が可哀想とか情けないとかゲームを与えたいというのとはまた違うような気がする。そういう手立てもある、何事も人と同じような環境にあるとは限らないけど、それでもなお自分が与えられた条件の中でどうやって乗り越えていくのかを考え、その結論として見出した手法であり、むしろよくやったと評価できる気がする。一言でいえば「工夫ができた」となるのかな。
ともあれ、視点を変えて物事を見ることの大切さを改めて知った一件ではある。
コメントする