在●記者や現地取材者の記事報道で注意が必要なのは、「現場の声は大切」とのフィルタに惑わされ、語り手自身のフィルタが度外視されてしまうことです。現場、現地の声、取材、体験による言及や報告であるとしても、それを何の偏見や意図、誤認識も無く記事化したとの保証はどこにもないのです。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2018年1月18日
人は多分に感情に流される生き物だから、目の前で実際の物事に遭遇すると、その印象を強く受けてしまう。また、それを自分の理解の中で取り込もうとするので(それができなければパニックになる)、より強い印象の部分のみが強調されて記憶されることになる。事故現場の様子をその場にいた人に聞くと、それぞれ違った証言が出てくることがあるけど、それがよい例。
生の声は大切だけど、それが本当に生のままで第三者に伝えられているとの保証はない。人を介した以上、そこにはフィルタリングが成されている。映像や画像ならば......とも思うけど、編集やカメラアングルで、それすら情報は容易に塗り替えられる。
さらにその現場にいた人が、明確な意図を持ち、情報をフィルタにかけていたら。そう考えると、確かに現場の声、現地の声、現地取材、体験による言及や報告は価値が高いけど、それをうのみにするのは、崇拝するのは非常に危険が高い。現地にいた人が何の偏向も無しに語っているとの保証はどこにもない。
しかしながら昨今では特に、現場の声とか現地の人の話はすべて事実で公明正大ですべてうのみにしてよいとの風潮があり、非常に危険だと思っている。容易に判断を違えてしまいかねないし、それを悪用する人たちが(意識的・無意識は別として)多数いるのもまた事実。米大統領選でのあれこれが極めて良い例だ。
「講釈師 見てきたような ウソをつき」とはよく言うけれど「出羽守 見ているけれど ウソをつき」も十分にあり得るわけなのだな。
すぐ「欧米では-」っていう出羽守系の人を「白人のイタコ芸」と言い放ったツイートを見かけて、なかなかのパワーワードだなと思った。
— 英司(チャンキチ) (@ez_library) 2018年1月17日
イタコ芸ってのはなかなか言い得て妙。出羽守よりも読みやすく、実情を理解しやすいかもしれない。
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