ソーシャルメディアでの挙動はそのまま履歴として残るので、その人自身の活動記録、履歴書的なものとなるのです。居酒屋でくだまきながらの発言のように、その場でオシマイというわけではありません。ご用心を。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2018年1月17日
新聞記者やサムライ業の方々のソーシャルメディアでの言動の数々を見るに、専門家や有識者、業界の中の人の肩書が、その語りの内容の事実性を、確からしさを担保するとは限らない。ソーシャルメディアが無ければ恐らくは表のごく一部の表現だけを目にしてその言及の確からしさをうのみにしていたのだろうけど、今やそんなものには騙されない。それはそれ、これはこれ、で世の中すべて説明できるわけじゃない。
その観点で、意思表現のハードルが低く、ついつい独り言、居酒屋での酔っぱらいの戯言のように本音の部分が出やすいソーシャルメディア、特にツイッターにおける履歴は、その人の活動記録、本質を精査する材料となる。まぁ、履歴書みたいなものかな。あるいはアカシックレコード的な。
中にはそれに気がついて、定期的に自分のログを消し去る人も居る。けれど注視されたら記録は別所に保全されてしまう。ともあれ、第三者に向けて開示する形で情報発信をしたら、それは同時にそのような情報を出したという記録を残したことをも意味する。そしてソーシャルメディアであれば、それは容易にたどりやすいものとなる。
就職試験の際に企業側が応募者のソーシャルメディアアカウントを精査してその人の性質を探るのでは、という話もある。ケースバイケースだろうけど、手段としては有益。よほどの人でない限り、自分の本質を偽ってソーシャルメディア上で発言し続けるのは難しい(なりきりアカウントとかならともかく)。
ある程度使い続けたソーシャルメディアのアカウントは、そのままその人の履歴書たり得る。それを知った上で利用する必要があるし、他人の精査の際にも役立つポイントには違いない。
コメントする