トラブル発生時にすぐに「組織の責任者の首を取れ、辞任しろ」と要求するのは野蛮人と変わらない

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事案そのものは不正に違いなく問題ではあるのだけど、その不正が成されるに至った原因の追究とその再発防止策の模索、立案、そしてその実行こそが、不正追及の目的であり、それらを成さずして相手を断罪し、さらに責任者も責任を取らせるということでいきなり首を求めるというのはおかしな気がする。しかもそれを記者側が誘導要求してくるとは。

その当事者、責任者が明らかに問題の原因であり、放置しておくとさらに状態が悪化するというのならいざ知らず。すぐに首を求めるってのは、何か悪い事をしていたっぽいから首をはねて我々の憂さを晴らさせろ、正義を実行した気分にさせろという主張とどれほどの違いがあるのか。

トラブル発生時に組織の責任者の首を取れ、辞任しろというのは、反社勢力での総括とか、戦国時代の敵武将の扱いとか、フランス革命時の貴族への吊し上げ同様、野蛮な思考の結果なのだろう。必要なのはトラブルの問題究明と改善策の模索、そして実施。その中で責任者の存在そのものが問題の要素なら、それが判明した上で首にすればよい。あるいはそういうことをさせないような組織形態になっているのなら、そうするように責任者の首も含めて改変させればよい。

不思議なのは首にしろ、辞任しろと騒ぐマスコミ界隈は得てして、問題究明と改善策の模索、その実施をしないどころか、責任者の首すら差し出さない。無かったことにする。結局、我がままし放題、無敵モード状態なのだろう。質の低下(の暴露)も改善の仕組みが無いから。劣化してもそれを抽出して改善する、あるいは質の悪さが明らかになっても、それを取り除く仕組みが無いのだから。食堂で実商品を使ってサンプルを作り、それをずっと、傷んできても置いているようなものだ。

例えば誤報があったとしても、なかなかそれを認めず、あるいは「報道としては間違ってない」と開き直る。どうしようもなくなっても、ちょっとお詫びを伝えておしまい。問題究明と改善策の模索、その実施などしないし、責任者へのペナルティも無きに等しい。これでは間違いが繰り返されても仕方が無い。

メディアにおいて情報とは商品であり、その内容に問題があるのならそれは品質偽装であり異物混入と同レベルの問題なのに。自動車ならば部品が故障したり品質が劣化してもそのまま、構造そのものに問題が発覚しても無かったことにしてずっと走らせている、そんな感じ。

で、ちょうど良いタイミングで似た話への指摘があったので併せて。下衆な報道が目立つのは、読者の需要があるからだと報道側は主張するけど、それは単なる詭弁であり欺瞞でしかないとするもの。以前も指摘したけど、読者の需要は多方面においていくらでもあり、さらに一見すると見難い需要も掘り起こしをすればいくらでも出てくる。

その中からあえて下衆なものを選ぶのは、その時点でメディアの意図が明確に関与しており、それを「読者が読みたがるから」と言い換えるのは、詭弁以外の何物でもない。単純に自分達が選びたかったから、もっと率直にいえば楽に稼げるから。あるいはその方がメディア自身にとって都合がよいから。

傷んだ食材で料理を作って食中毒を起こしても、客が食べたから悪い、俺の食事を求めたから悪いというようなもの。問題の「下衆な記事」は、読者が求める多種多様な方面の記事の一つに過ぎず。それを選択したのは他の誰でも無い、マスコミ自身なのだからね。

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このページは、不破雷蔵が2018年1月24日 07:52に書いた記事です。

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