「日本人はなぜ批判(非難)が好きなのか」というアレを見ていて、「アレもダメ、コレもダメ、それ以外は良かった」という言い回しをする人が居ると
— 稲塚 春 (@Inatsuka) 2018年1月26日
それって「いい部分を分析して言葉にする能力」がないのに賢い人ぶりたくて、誰でもできる「否定」の方ばかりを羅列してしまってるってことなのかね
色んな人が言ってるけど、
— 稲塚 春 (@Inatsuka) 2018年1月26日
「悪いところを指摘して適当な難癖つける」のは才能がなくても誰でもできる
「良いところを挙げ、そこの何がいいのか分析する」のは才能がないとできない
悪いとこばかり語る人には、「語りたいけど能力がないので無自覚に悪いとこばかり語る」という側面があるのだろうか
世の中善し悪しの2極化でしか仕切り分けできないってことはないのだけど、そしてこれが万物の真理ってことでもないのだけど。
確かに批判の方が楽で具象化はしやすい。ネガティブな印象はより強く、より確実に心に刻まれるからだ(生物の性(さが)ってやつだな)。そしてその情報の受け手としても、ネガティブな方が注目しやすいので、素早く容易に評価を受ける、承認欲求を充足させるにはその方がよい。YouTubeやアマゾンのコメントなどでネガティブな方が注目される傾向が強いのも、その表れだったりする。
で、だからといって難癖ばかりをつけていると、物事を正しく見極めて評価する能力が育たない。良いところを見つけ出し、それを正確に言葉にして表現するのは、とてもとても難しいものだし、経験や訓練が必要となる。読書感想文で「よかったです」「いいと思いました」は書けるけど、なぜそれがよいと思ったのかを説明するのって、随分と難しかった記憶、あるでしょ?
「いいなあ」と思った感情をどのように表すか、日頃からの訓練として感想を考え、体現化していく。ポジティブシンキングという考え方でもいいし、ツイッターでちょっとした感想を作者にリプライしていく形でもいい。慣習化することで、自分の表現能力も養われていくし、受ける相手も悪い気はしないだろうし活力が得られるだろう。誰も損をしない、とてもよいことに違いない。
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