共同通信「松吉」署名ツイートと山中教授「印象操作」の根深い病理 (田中秀臣) - オピニオンサイトiRONNA https://t.co/PmqYKEMeMs #iRONNA
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2018年1月29日
結局共同通信は、口つぐんで逃げ切ろうと思ってるのかなあ。「黙ってればいずれ忘れられる」って目論見なんだろうけど、マスコミへの鬱屈はずっと溜まり続けてるから、ことがある毎に、そしてもっと些細なやらかしで炎上するようになるよ。
— きゃんどる (@Intercandle) 2018年1月29日
「共同通信が金で「記事」を書いた」件について https://t.co/JCR9C6tVQ6 とか 公式アカウントで記者のざれごとを流す共同通信 https://t.co/rLMNZ5gSW6 とかも併せ。探せばもっと色々と昔からあるのでしょう。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2018年1月29日
先日の共同通信社によるやらかしについては、未だに正式な形での問題意識の表明や事実確認や改善策の模索の類の話は聞かれない。要はあれが共同通信にとってはいつものことであり正しい様式であり今後も続けるよの、暗なる意思表示なのだろう。商品に関して問題があれば生産ラインを止めるなどしてどこが問題だったかを精査し、その問題を解決し、その過程をしっかりと公開して今後同じようなことがないようにする。それができない、しないということは、自分達のしている事に間違いは無いとの認識だと判断されても仕方が無い。
先日の「無敵艦隊」の訳についてもいまだに理解できるような反応は無い。上に二つほど挙げていたけど、時間をかけて精査すれば似たような事案はいくらでも出てくるはずだ。今回はたまたま大規模で、あまりにもあからさまだったから容易に多くの人に広まり突っ込まれたまでの話。
「誤報によって人を傷つけた場合、潔よくそれを取り消し、自己の過失に対し充分の誠意をもって陳謝するのは、普通人の道徳においては当然のことである」(続)
— 赤城毅/大木毅 (@akagitsuyoshi) 2018年1月27日
(承前)「もしも新聞記者が普通人以上の特権者たることを要求するか、或いは普通人以下の道徳水準をもって自ら甘んずるのでない限り、新聞はこの当然の道徳を守らなければならぬ。ところが、この当り前のことが中々行なわれない」(続)
— 赤城毅/大木毅 (@akagitsuyoshi) 2018年1月27日
(承前)「私は過去において幾たびもこの事を説き、或いは事に当って実地に争ったこともあるものであるが、新聞というものが以外にも過ちを改めるに吝かで、動もすれば人の名誉を軽視する事実にぶつかって、幾度も遺憾の感を新たにした経験を持っている」(続)
— 赤城毅/大木毅 (@akagitsuyoshi) 2018年1月27日
(承前)この引用は、小泉信三が昭和二十四年に発表した文章からなんですが......。
— 赤城毅/大木毅 (@akagitsuyoshi) 2018年1月27日
まぁ、共同通信に限らず、報道界隈ってのは得てしてこんなものであり、社会正義がどうとか絶対権威的なものだとか、お貴族様的な存在では決してないってのは昔も今も変わらない。今はそういうものが可視化され、容易に確認できるようになったまでの話。白昼にさらされるというところかな。
ツイッターがソーシャルメディアの中でも特に意思表示のハードルが低く、利用者の本質の多分を披露しやすい性質であることを鑑みると(意識すれば「ねこをかぶる」こともできますが)、新聞記者界隈の妄言の数々はその本質であり、普段からの言及、想いの実態を表していると考えるのが妥当ではあります。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2018年1月26日
それを見ている側からは「普段からこんな思いで、見識で、記事を書いているのか」と認識せざるを得ないわけです。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2018年1月26日
今回の件に関しては、報道機関の中にいる人達の品質も改めて問われる形になっている。これも以前から何度となく指摘されてはいるけど、このレベルの人達がやっている仕事なら、内容もこんなレベルなのだろうなあということ。まだ普段のあれこれが関係ない方面のならともかく、仕事と同じ領域、さらには仕事とリンクしていることでの話で、さらに仕事のツールを使って仕事の結果として出しているようなものだからねえ。
「こんなまともな記事を書く記者もいますので、十把一絡げに批判しないで下さい」
— Bernardo Domorno (@Dominique_Domon) 2018年1月26日
「人を襲わないヒグマもいますので、十把一絡げに危険だと決めつけないでください」
修正記録が残らないと「捏造」になります。
— KGN (@KGN_works) 2018年1月25日
という意識が皆無の時点で、伊丹さんの書くものもすべて信用ならんと判断せざるを得んなあ......
残念なことですが、ダメ記事を判断する基準がまたひとつ、増えました。 https://t.co/NSYL8QlhBU
同じURLで修正履歴も示さないままに記事差し替えって、
— KGN (@KGN_works) 2018年1月25日
「いっぺん出してしまった記事は無かった事にする」
「修正後の記事だけ読んどいて、僕らの失敗は無かった事にするんだよ?」
の意ですからね。
失敗したという事実が『ない』と改編にかかってるんですからねえ。
そら信用できるわけもなく。
論文に嘘を書くと上司が辞任するのしないのの騒ぎになるわけですが、新聞に嘘を書いても記事を差し替えればなかったことにできるらしく、新聞は科学研究より社会の役に立たないことを自ら証明されているような気がする。
— 働く、働く (@enogu) 2018年1月25日
今の時代、テレビの前に座らなくても情報は取れるし、
— 秋ゑびす●2/3 節分追難、2/4立春大吉、2/11 日本書紀による神武天皇即位日を太陽暦換算した日 (@yamashita99) 2018年1月26日
電話機を掴んだり郵便局に走らなくても、情報発信は出来るんだぞ。
コメンテーターが見てきたような嘘を言っても、信用されないよ。
そうか。あの擁護は的外れなだけじゃなくて、なんちゅうか「ふつうにあること」と思わせるからさらに悪質なんだな。新聞の初刷で誤報→後の改版で訂正もせずに差し替えって日常的にやってます、と言ってるようなものだもんな。まさか、ほんとに日常的にやってるんじゃあるまいな。
— 亀@渋研X(リハビリ中) (@kamezonia) 2018年1月26日
つーかアレはそもそも「取材時点で事実だったものが時間経過で事実じゃなくなったもの」じゃないでしょうよ。これは明らかな論文捏造案件を「単純ミスというのはよくあるものです」って似て非なるもので擁護するようなもんで、それ自体かなり悪質なミスリーディングですよ。
— PKA (@PKAnzug) 2018年1月26日
まぁ、色々と今件では今件事象そのものだけでなく、体質的にアウトなんじゃないかという状況が指摘され、恐らくはそれは間違っていないのだろうし、さらにそれを改めるような気配が無いというのも正しいのだろう。何しろ以前から確認されているだけでも似たようなことは山ほどあり、確認できない、すぐには見つけ出せないやらかしも多数あるのだろうから。
経年劣化というか流れぬ湖は腐敗するとか、歯止めなき力は正邪の別なく暴走するとか...組織論的には典型的な腐敗構造の成れの果て、だよね。
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