気に食わない、自らの主旨に合わない相手を叩くのが報道の役割では無かったはずだが

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先日の山中教授の問題に続き、舌の値も乾かないうちに共同通信と「松吉」記者が似たよう方向性でやらかしをしたのを受けての話。やっぱり根幹としては、このような考えが報道界隈の軸にあるのだなあという実感がわいてくる。

無論、世界支配層的な妄想組織が指揮を取っているとか、椿事件のように裏で組織立っているという話では無い。個々の思惑が体現化されて共通認識的なものが互いに把握でき、ならば俺らもという形で増長されているのだろう。いわばスタンピード現象が加速して止まらない状態。そしてそれが今では報道界隈では当たり前になっているというところ。

けれどその暴走で得をするのは報道界隈自身だけ。責無く叩かれた対象はもちろん、その叩かれた対象から恩恵を受けるはずだった多くの人や国全体もまた、損害を受けてしまう。建設業界のあれこれも、多分に報道に責があると断じても良い。


どのような人にでも妬みや嫉みの類はある。一方でそれを露出化させ、かき立て、扇動させるか否かで、体現化する、当たり前のようになってしまうかは決まる。頭の中に思い浮かべる事と、口にすることは別だよ、ということ。それをさせてしまう、当たり前だと思わせてしまうのは、やはり報道側の責に他ならない。「羽織ゴロ」という表現は下衆な感もあるけれど、否定ができないから困ってしまう。例示されている「プロメテウスの罠」が極めて良い例。「プロメテウスの罠」は報道界隈にとって、「報道は正義だ」と自称する想いやそれを振り回す行為そのものが罠であったという、笑えないオチに他ならない。

社会の木鐸を自認する報道も、その木鐸がすでに腐れ落ちていることに、早く気がついてほしいものだけど。自分達が腐れるのだけなら別に自業自得だけど、それで読み手・聞き手、さらには国全体に迷惑をかけるのは勘弁こうむりたい。

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このページは、不破雷蔵が2018年2月 9日 07:11に書いた記事です。

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