昔AVメーカーの人と話した時「今は『いやらしい奥さん』とか曖昧なタイトルじゃなく『旦那の留守中に口説いたら戸惑いながらも大胆になってきた隣の奥さん』みたいな最初から内容がわかる題名しか売れなくなってる」って聞いて現代は当たりかハズレか不確かな物にお金を払う余裕がないんだなと感じた。
— 大島薫 (@OshimaKaoru) 2018年2月10日
こういうタイトルのつけ方はラノベもそうだな。理屈は簡単で娯楽メディアが多過ぎて、考察によって情報不足をフォローしてる暇が無いんだよね。だからあらすじタイトルや、一発で内容が分かるタイトル等、瞬時に判断できるものが売れる。異世界食堂は後者の好例だと思う。https://t.co/wrgCFyO3BR
— 高村武義 (@tk_takamura) 2018年2月10日
これは統計の類を取ると面白いのだろうけど、そもそもこのような話における統計データそのものが残っているのだろうかという問題から、それは無理っぽいよねとは思う事案。でも巷にあふれる作品のタイトルは、確かに指摘されているような現象が生じている感はある。いや、そればかりというわけでは無く、割合の観点で。そして昔の作品タイトルに、今のようなやたらと長くて内容を概略的に解説しているうようなものがどれだけあったのか。
古風な作品タイトルの良いネーミング作法としては以前【タイトルの付け方の一考察】で言及したように、少ない文字数で巧みな構成を行うというのが王道だった。今ではスマホで閲覧する事例が増えているので、この文字数を絞るってのは非常に大切ではある。
他方、指摘されている通り、ネットの普及やエンタメ界隈の拡大により、送り手の数がけた違いに増えたため、受け手は精査をする余裕が無くなってきたのも事実。バイキング料理のコーナーが東京ドームほどの広さだったらどうするよ? という感じ。ならば少ない時間で内容を精査できるようなアプローチで無いと、受け手も「面倒くさいからパス」となり、見てもくれなくなる。
情報過多で受け手はつまみ食いをするしか無い。こんな話を以前した。受け手側の時間は限られている。手に取り咀嚼するにもそれなりの時間が必要。ならば時間を無駄にしないような工夫をしなければ、情報の荒波にもまれてしまう。多数のゲームが同時に発売されると、有名どころや超人気タイトルだけが売れてしまうってのと同じかな。
「現代は当たりかハズレか不確かな物にお金を払う余裕がない」。これをお金が不足している云々と誤解釈する向きもあるけどそうでは無く、単に時間が無いまでの話。その観点では非常になるほどな話ではある。
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