今やパソコンなどの学習用端末は学びに欠かせない存在

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要は、デジタル化の浸透でパソコンの様々な機能の使いこなし、インターネットの活用は学習、創作の観点では欠かせない存在であるにも関わらず、それを前提とした教育課程がなされていない、まだあくまでもついで的な状態でしか扱われていないというもの。これは非常に納得がいく話であり、例えるならば東京から大阪に行くのにいまだに馬や早駕籠をまずは使えといっているようなもの。デスクワークをする時に電卓すら使わずにそろばんを使えとか。

新しいツールが普及浸透しているのなら、そのツールに併せて学習スタイルを学ぶべきである。その基礎となる昔のツールは、こういうものもあったんだよという形で歴史的に、そして基礎部分を後で教えて、一通り使えるようにしておけばよいまでの話。それをメインにする必要は無い。今でも水を飲むのに井戸までいけというのか。それとも教える立場にある人が気に食わない、出来ないから子供にもやらせないのか。


例えば長文を書く時に、原稿用紙上にしたためていくのと、パソコン上で書くのと、双方を経験している人には、後者の技術導入による劇的な効率の向上や視野の広がりは大いに理解できるはず。それを得ることで埋もれている才能が芽生える可能性はいくらでもある。

使いこなせるツールによって才能が開花する、利便性がけた違いに向上する。その機会がありながら遮っているのは誰なのか。

......ああ、これってよくある話、Excelのマクロで効率アップしたら嫌われた云々ってのと同じ構造だわな。

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このページは、不破雷蔵が2018年2月20日 06:54に書いた記事です。

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