【取材した結果】朝日新聞の「安倍晋三首相は私邸近くを散歩。公園ではジョギング中の男性から『憲法改正しないでください』と声をかけられたが言葉を返さずに歩き続けた」の記事。
— Mi2 (@YES777777777) 2018年2月19日
産経新聞・阿比留瑠比論説委員「取材したところ、安倍首相も秘書官もSPも誰も聞いていない」
社説も記事も壊れすぎ。 pic.twitter.com/bJhK5YMWCT
散歩中の安倍首相に「憲法改正しないで」 返事は...(朝日) https://t.co/kAJ5V8cn4g
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2018年2月19日
阿比留 瑠比(Facebook) https://t.co/MmtlftOLEt 双方とも確認。 pic.twitter.com/3cKCn2Lyl5
総理がジョギングしているところにジョギング中の男性から声をかけられたが反応せずに通り過ぎた。それを朝日新聞が記事にしたけど、産経新聞の記者が確認したら官邸の関係者は誰も聞いていないよというもの。憲法関連で総理側が市民の意見を無視しているとの印象を持たせる朝日新聞の、「ありがちな報道」記事ではあるけど、そんな事実無いよというツッコミが別新聞社から入った次第。
誰かがウソをついている。
産経
朝日
官邸
声をかけた人
あるいは声をかけた人が脳内声かけだったか相手に聞こえないぐらい小声だったか。
しかし「ジョギング中の男性から「憲法改正しないでください」と声をかけられたが、言葉を返さずに歩き続けた」という話だけで、有料提供されている新聞の記事にするとは。報道の非対称的な使われ方は恐ろしいものに違いなく。このような報道の使われ方が日常茶飯事的に行われているとすると、背筋がぞっとする。
「声をかけたと主張した当事者」がいれば、その声掛けが事実であるか否かは必要ないわけです。「声をかけた、でも返事は無かったと言った人がいたよー」という記事なんだってばさと主張すればいいわけですから、記事の書き手としては。このパターン、例の吉田証言問題が好例です。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2018年2月19日
その人物が、首相のジョギングの道を塞いで訴えたとかなら、ある意味で記事になるでしょうが、「声をかけた」だけでは・・・ね。
— busheye (@busheye) 2018年2月19日
いやはや、こんな事やってると市民からの信頼なんぞどんどん削れていくだろうにと思いますが......文字通り「ケチをつけられるのであればなんでもいい」という風にしかみえませんね(^-^;
— 玉藻さん@地球在住 (@Roseate_Rosy) 2018年2月19日
この類の「曖昧な報道」を日常茶飯事的に行っているから信頼が無くなる。それは否定しないけど、無くなっていくだけの信頼がまだ残っているだろうか。まぁ、気がつかない人はずっと信頼し続けるのだろうけど。
今件に限っても、例えば国会で誰かが追及したり、議員が取り上げたり、官邸から正式に否定の声が出されたりしたら、朝日新聞側はどのような反応を示すのだろうか。興味深い話ではある。
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