ほしいのは素の報道記事、感情表現や記者の願望は要らない

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各報道界隈の記事やタイトル、そしてそれらの記事が転送されるポータルサイトのタイトルでは特に、報道記事において書き手や発信元の願望や憶測が事実報道に織り交ぜられて表現されており、事実がゆがめられた形で、脚色されて、余計な情報が混ぜられて、伝えられてしまっている。

「羅生門」の書籍を購入したら作品の内容は概説しか書かれておらず、残りのページには出版社の作品への想いとか内容の分析とか、さらには関係者の読書感想文的なものがもりもり盛り込まれていたりするようなもの。あるいは本文はちゃんと書かれているのだけど勝手に出版社や編集によって表現に足し引きがされていたり、さらには章単位で削除されたり創作が入っているようなもの。

欲しいのは事実報道であり書き手の想いでは無い。書き手の想いが欲しい時は、それ専用の場所で取得する。ラーメン屋に入ったのにうどんとかそばしか出されていない、ラーメンっぽいのはあるけど中にそばとかうどんが混じっている創作ラーメンだったりする。

「報道」を自称する記事から感情表現や記者の願望、憶測をすべて削除して素の報道化を行う、報道警察ってのも面白いかもしれない。まぁ、プレスリリースで十分になるし、そうでない事案に関しても、テレビ番組の合間に伝えられる数分程度のあのニューススタイルになる。でもそれこそが必要であり、それすら出来ていないのが今の新聞社をはじめとした報道界隈。

で、これってAIとマスデータの活用で自動生成化は可能かもしれないなあ、とふと思ったりもする。

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このページは、不破雷蔵が2018年2月20日 07:25に書いた記事です。

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