昔と今では「8時間働く」の意味が違う

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黙って3年間勤めてその上で判断しなさいってのはよく聞く話。3年の間に色々と自分の適応性や仕事先の善し悪しを理解できるだろうからという意味があるのだろうけど、それはその言葉が語られていた当時の常識。現状ではそうだろうかという感を持つ人は多いはず。

さらに会社の本質を容易に教えてもらえる、就業者側の考え方、立ち位置の大切さが認識される現代では、3年間黙って勤めろ云々ってのは、会社側にとって都合の良い詭弁として解釈されても仕方が無い。

仕事は自分のため。世のため人のため会社のためという人もいるかもしれないけど、結局それらも「そうしたい」と願う自分の思いを実現するためだから、極論としては自分のためになる。人はもっと素直になるべきだ。


そしてもう一つ、むしろこちらの方が大切かな。3年間とかいう時間の概念は、昔と今とでは随分と異なる。仕事の圧縮度合いが段違いなのだな。指摘されている通り、就業時間を1日8時間としても、その時間の間ずっと張り詰めた感じで勤めているわけじゃない。以前も機械化とかAI関連の話で言及したけど、技術の進歩によって楽になったから、その分を余暇に回せるのではなく、さらに仕事を詰めてしまったので、同じ時間の尺でもやっていることはまったく別(お金関連では大学の授業料が有名かな)。

どれぐらい過去にさかのぼるかにもよるけど、時間とか金額を用いた言い伝えやら教訓は、あくまでもその当時に当てはまったからこそ言葉として残っているわけであり、環境が変わればそのまま当てはまるとは限らないってのに注意しなきゃならない。電話関連の話はピンと来る人も多いとは思うのだけどね。固定電話とスマホでは、同じ通話をする道具であっても、使い方がまったく別物だから。

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このページは、不破雷蔵が2018年3月20日 07:45に書いた記事です。

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