子供のアクシデント、高確率で「なぜ子供から目を離したのか」的なお叱りリプ来るけど、子から片時も目を離さないのは不可能だし、例えばうっかりコップを割った時、外野から「何故しっかり持っていなかったのか」「万全の注意をしていれば割れなかった」とか言われたら普通には?お前誰だよ?ってなる
— よく眠りたまに色々考える主婦 (@toppinpararin) 2018年3月8日
子供への安全紐の時に何度か話が出た記憶があるのだけど、似たようなやり取りが先日あった。子供に勝手にあげちゃいけない類のお菓子をあげてアレルギーを起こしたり呼吸困難に陥ったりしたというケースが挙がり、それを受けて「あげた人を非難するのはかわいそう」「監視していなかった保護者が悪い」という意見があってのツッコミ。まぁ、その類のご意見はどのような場面にでも登場するし、そのような声が増長されやすいのがネットの特性だから、「お前が思うのなら以下略」でいいとは思うのだけど、下手に黙っているとそれが正論であるかのように扱われかねない。
ゲームで例えると、子供には行動性向のテンプレートが無い。いつでもイベント発生のサイコロを振り、6が出たら突拍子もない、大人が想定し難い行動を取る。大人は自分の経験と知識を条件選択肢として用意して、色々と判断をした上で口にしたり行動をするのだけど、子供にはそれらがまだ備わっていないから、思い付き、さらには思う前の条件反射がそのまま実行動に移されてしまう。きれいだなと思ったら、火鉢の中の燃え盛る墨にでも手をつけようとする。
運です。我が子がこの歳まで無事に育ったのは、私が片時も目を離さなかったからでもしっかり手を繋いでいたからでも、まして不慮の事故でお子さんが怪我したり亡くなった親御さん達よりもしっかり注意していたからでもなくて、ただの運です。
— よく眠りたまに色々考える主婦 (@toppinpararin) 2018年3月8日
最悪の場合死んでいたな、とヒヤリとする事は子育てしててそれこそ何十回もあったし、私の気づかなかった子供の危機だって数えきれないくらいあったはず。人間ですから24時間365日万全に緊張しっぱなしなんて不可能
— よく眠りたまに色々考える主婦 (@toppinpararin) 2018年3月8日
誰だって大切なコップを割りたいと思ってはいなくて、それでも毎日使ってればうっかり取り落としたりぶつけたりすることも当然あって、じゃあどうすれば割れる確率を少しでも下げられるか考えましょう、というのが大切で、何故割るんだ!しっかり持ってれば割れない!と責め立てるのはなんの意味もない
— よく眠りたまに色々考える主婦 (@toppinpararin) 2018年3月8日
しかもこのコップ、数秒目を離したら脱走するし割れ物のくせにやたら高いところから飛び降りたり車道に飛び出したりするんですよ
— よく眠りたまに色々考える主婦 (@toppinpararin) 2018年3月8日
「子供が生き延びているのは運」。非常に重い言葉。昔と比べると色々な知恵や工夫で確率は下げられたりサイコロを振ること自体を留めさせられるようになったけど、それでもなお子供がハイリスクのイベント発生のサイコロを突然振ることに違いは無い。それで生き延びれるか否かは運次第。
保護者が監視しなかったから云々というのは、一定レベルのものを超えていた場合、無茶言うなという反応しかできなくなる。確実性を求めるのなら24時間監視ができる保育器の中に子供を閉じ込めておかなきゃならなくなる。それこそ生まれたばかりの乳児のような状態を、ある程度知恵がつくぐらいにまで。それは人道的にどうなんだろうか、SFみたいな話になる。けれど、「保護者が見ていなかったのが悪い」という責めは、時としてそれを求めるのと同じ意味となる。
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