「昔はアレルギーなんて無かった」に対しては「死んでただけ」「タダの好き嫌いだと思われてただけ」で良いですよ。
— KGN (@KGN_works) 2018年3月10日
「昔は少なかった」に対しては「データがないから増えたか減ったかわからない」が正解です。
疾患概念が成立しないと、疾患は見分けられません。当然、数も把握されてなかった。
「まおゆう」でも似たような話があったなぁ、ということを思い出しながら。昔は科学技術がそこまで進んでいなくて理屈的に理解できなかった不思議な現象が、色々と理詰めで説明できるようになり、そういうものだとして概念化され、言葉が付けられて定義づけされる。するとその類の現象が正しく仕切り分けされてカウントされるので、これまで曖昧だったものがしっかりと分かるようになる。
指摘されているアレルギーがよい例で、こういう理由の下にこんな反応が起きるのだよという理屈が分かり、概念として周知されていないと、統計化もできない。当然、数もカウントできない。これは例えば、現在でも未開の場所に住んでいる、科学も医学も無いような場所では、同じようなアレルギー反応が生じたとしても、それがアレルギーであるとは当事者たちには分からず、何か急におかしな症状が生じた、亡くなったということで終わってしまう。悪魔に憑りつかれたとか、呪いが起きたと思うかもしれない。
概念を確立して名前をつけることで、人はそれを認識し、取り扱うことができるようになる。ある意味、概念はものすごい発明ではあるのだな。
「昔の情報を見る時は、当時の疾患概念を知らないといけない」。
— KGN (@KGN_works) 2018年3月10日
極端なたとえ話すると、『天狗のたたり』にくくられてたりするわけですよ。
今日の我々はそうは分類しないけどね。https://t.co/3Gyr5RRSDx
今のシーズンですと、スギ花粉症。
— KGN (@KGN_works) 2018年3月10日
これまた疾患の報告が1964年という大変新しいシロモノで、それまでは『春季カタル』の一部をなしてたわけ。
春季カタルと呼ばれたものが今で言うなんだったのか、それの中身の分類しようがないもんだから、スギ花粉症が増えたのか減ったのかはよく判らん。
とりあえず現在の我々に言えるのは「春になると抗アレルギー薬が必要になる人が大勢いる」「原因がスギ花粉と推定される人が大量にいる」「調べたらスギ花粉の抗体を持ってる人がたくさんいる」程度ですかね。
— KGN (@KGN_works) 2018年3月10日
疾患概念成立前に比べて増えたか減ったか?それは判らん...
一定数で発症が見られるので、昔は『ゼロだった』とはちょっと考えられないですからねえ...かつ、今なら救命できる症例(注:今でも死んでますが)も昔は全滅してたわけですし。
— KGN (@KGN_works) 2018年3月10日
余談ですが歴史上の「毒殺事件」も一部はアレルギーだった可能性があるそうで、それはそれで面白い話。
名前が付かないと概念として認識されにくい、というのもありそうですねw
— ほほほ (@ez5) 2018年3月10日
そもそも「なんか違うものがあるぞ?」がないと、違う名前がつかないんです。ゴミ箱診断で同じ名前つけちゃうという...
— KGN (@KGN_works) 2018年3月10日
まあ、後日、疾患Aと疾患Bが同じものだった、なんてのも出てくるんですけどね。
そして指摘されている通り、概念が確立されていない時期においては、その概念にマッチする条件の再検証ができないため、推測以上のものはできない。そうじゃないかな、それっぽいなぁ、というのは不可能では無いけれど。
以前も取り上げたけど、花粉症だって昔は無かったかのような話はあるけど、花粉症という概念が存在しなかった時は、色々な症状が報告されていただけの話。まぁ、環境の変化や人の耐性の変化が生じて、過敏になっている可能性はあるけど、それを確かめるすべはない。
原因不明とされていた奇病とかも良い例だし、一昔前、ふた昔前では社会一般にごく当たり前のように存在していた、それ故に気にも留めていなかった事象が、今の概念で考え直すと、それなりに大きな話ではあったというのは、よくあるケースなんだよね。
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