小学校の先生に1つだけ、これだけは、とお願いするなら
— at_tsukuba64 (@at_tsukuba) 2018年3月13日
『学校で習ってないことを吸収してきた子がいたら、ほめる』
自主的、能動的に学習する子になるためには究極これだけだから。
「習ってないことを書くな」とか「書いたらバツ」とか、自主性を潰すなら、教育と関係ない仕事をしてください。
「よく調べてきた!」「よく覚えた!」「よく知ってるな!」これだけで子供は学習に関してすごくポジティブなれる。当たり前の話。
— at_tsukuba64 (@at_tsukuba) 2018年3月13日
そんな学習意欲を見せる子どもたちを"うとましい"存在として扱う教師たちが少なくない印象なのだが、彼らは何がしたくて教師になったのか?
自分も結構手持ちの本とかで勉強することが多く、教科書の進行を超えた知識を身に着けていた記憶はあるのだけど、それを先生が認識した時にどのような対応を取られたのかは覚えていない。怒られたとか褒められた記憶は無いので、恐らくそのままスルーされたのだろう。それが実は一番よい対応だったのかもなあと思い返したりもする。
一つ二つならネタぶりかもしれないけど、この類の話は定期的に多数持ち上がる。学校でまだ教えていない事柄は子供が使っちゃいけない。それは教えていないからだ、書いたら間違いとみなす。まぁ、そうしたくなるのも理解はできる。プロセスを知らないかもしれない、教師側のコントロールが難しくなる、他の生徒との差ができる、などなど。
ただ、間違っていないことを、教師側の思惑に反するからといって×づけするのは、それこそ地動説を唱えたら教会側に天動説を信じろと強要されたガリレオのような気分となるに違いない。それは教育として正しいことなのだろうか。
小・中学校の時に、授業より先の内容を書籍から得た知識(まあ、理科と世界史限定ですけど)で答えても「よく勉強したね」としか言われなかったことは、幸せだったのだろう。自分にとっては勉強じゃなかったんだが。>前RT
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2018年3月14日
あと、国語かなんかで、理科系の説明文が出た時、文を読まずに知識だけで答えて一問間違えたら、「おまえ、内容知ってると思いつつ、読まないで知識で書くから間違うんだ。読んで書きなさい」と見透かされて諭されたのは、いい経験だった。
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2018年3月14日
教師が教えたこと以外はすべて忘れろ、事実で無いとしろ。その方が教師としては楽に違いないし責任を取らなくても良くなる。でもそれって教師の存在意義はどれほどなのか、とか思ってしまう。プロセスを知らずに丸暗記だったら困るからその点をツッコミすりゃいいんだろうけど、漢字とかなら知識があればそれに越したことは無いよね、ということになるので否定するのもおかしな話。
そもそもそれって教育といえるのだろうか、とすら考えてしまうのは当方だけだろうか。
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