どれだけ親切にしても分からない人がいる、見聞きしても理解できない人がいる

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景観は二の次で大きな表示をしている注意書きやら看板やら。そこまで大げさにしなくてもいいだろうって思う時もある。公共施設ではふと注意してその辺りを見直すと、そこまで丁寧にやらなくてもいいのに、と思うこともある。音声などでは、電車内の案内がよい例だ。

しかしながら、どれだけ親切に表示や音声案内をしても、分からない人はいる。いや、厳密には視界に入っている、耳に捉えているのだけど、それを情報として認識せず、あるいは情報として取得してもその内容を咀嚼できていない人がいる。で、指摘の通りそういう人達は結構な確率で、不親切だとか説明が足りないとだだをこねる......ってこの辺り、統計が取れればいいんだけど、考えてみると統計そのものが無理だな、これは。

当方も実際、道を聞かれたりした時に、脳内で「そこに書いてあるじゃん」「繰り返し館内で音声案内されてるけど」というツッコミをした経験があるだけに、うなづいてしまわざるを得ない。


まぁ、世の中のすべての視覚・聴覚としての情報を精査して取り込んでいたら、それこそ脳がパンクしてしまう。必要だと認識した情報のみをかみ砕き、あとはノイズ的なものとしてスルーしてしまう仕組みがある。時々テレビなどで見かける、すべての見聞きした情報をしっかりと記憶してしまう人じゃないと、情報をくまなく精査するのは無理。だからこそ、情報が無いと思ったら、一度立ち止まって周囲を見回して、自分の脳が勝手に捨て去ってノイズ判断している情報の中に、必要なものが無いか否かを見返すというくせをつけるのが大切。

中には指摘の通り、そういうことをしてみましょうと案内しているのにも関わらず、それが面倒だからさっさと最適解を自分に教えろと詰め寄る人もいるのは否定しないのだけど。

......って何か既視感があるなと思いながら書き連ねていたら気がついた。これってネット内でのやり取りの中で時折遭遇する、かまってちゃんとか教えて君と大きな違いは無いわ。意思疎通の中でどうにも話がかみ合わない、理解しようとしていないのではと首を傾げるパターンがあるのだけど、それに香りが近い。思考の軸が最初からずれているのだけど、そのずれが微妙なので最初は気がつかないのだな。やり取りを見聞きしている中で、この人は話を理解していないのでは、根本的に情報を咀嚼理解していないのかも、と感じる時があり、それに近いような気がする。

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このページは、不破雷蔵が2018年4月 4日 07:22に書いた記事です。

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