「もうちょっと実力がついたら...」みたいな気持ちがずーっと心の底にある気がする。でももうこの歳だし、基本的には自然な上積みは諦めてどんどん描きたいものを描きまくっていかないと人生のリミットに間に合わない気がする。サクサクズンズン作品を量産したいなあ。(最近いつも思ってる)
— 辰波◇新刊でたよ (@yo_tatsunami) 2018年4月3日
以前に「趣味の造形を将来やろうと思っていたら視力が低下して楽しめなくなった自分に気がついた」という話をしたけど、身体的な能力低下だけでなく、時間的な制約もあるよねという話。というかむしろこっちの方が重要じゃないかな、と。
自分に与えられた時間は限られている。ならばその中で何をしなきゃならないか、何をしたいかと色々と考え、その中でしたいこと、やっておきたいことを後回しにしてしまうと、結局何もできないで終わりかねない。漫画や小説でよく出てくる、人生の終末に色々と悔い悩む、あれこれしたかった云々ってのも結局はそれが原因で、義務感にとらわれ過ぎると自分の楽しみ、自分自身の存在感がどこかに追いやられてしまう。自分の意義が薄い日々を過ごしてしまいかねない。
万全な準備をしてからあれをしたい。その考え方も間違ってはいないのだけど、準備周到すぎると、その準備にとらわれ過ぎて肝心のなすべきことをできないで終わってしまいかねない。なんか理不尽ではある。
最初の20年ほど「これをやらねば生き残れない」「あれを始めないとまずい」と常に強迫観念に駆られて、仕事をまったく楽しんでこなかった。体感的に人生の95%は仕事だから、人生そのものが楽しくなかった。もう何も気にせず、やりたい仕事だけやるように変えた。ここ数年、ようやく楽しくなってきた。
— 葛葉(レオポン㌠のフレンズ) (@Cuznoha) 2018年4月3日
仕事をしている人には人生の時間のうちの大部分が仕事への従事時間となる。それを望み、楽しみとしているのならともかく、苦痛ばかりが続くのなら、心理的にもダメになってしまうのは仕方が無い。お給料は我慢料という言葉もあるけど、それは自分自身を誤魔化すための言い訳でしかない。世の中、楽しい時間が多い方が気持ちも安らぐし、ポジティブな考えが続くことで色々な物事がよい方向に進んでいく。
ブラックな企業の問題点もここにあるのではないかな。イヤな事ばかりやらされている時間が続くようでは、心理的に追いやられてしまうのは仕方が無い。そりゃ成長のためにはある程度の苦境は必要だけど、耐えうる領域を超えているってのが現状では多すぎやしないかな、と。
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