「イイネ」をホイホイ押すのは何か薄っぺらい社交みたいでイヤだなあと勝手に自粛していたのですが、いいと思えるものに巡り合ったら素直にいいと言ったり書いたり意思表示したりすると、日々いいものに囲まれて暮らせるという循環に最近気づきまして。気色悪いと思ったらブロックでお願いいたします。
— 葛葉(レオポン㌠のフレンズ) (@Cuznoha) 2018年4月14日
先日はFacebookの「いいね!」で表現意志弾圧が行われてちょいと色々な方面で幻滅しちゃったけど、Facebookにしてもツイッターにしても、「いいね(!)」は基本的にその言い回しそのままのポジティブ、少なくともネガティブでは無い心境の表れという解釈ができる意思表示ではある。システム的に、単純に「少なくとも自分は目を通したよ」という意思の表れ、潜水艦のアクティブソナー的なものであるとか、付せんを貼るような覚え書きとしても良く使われるのだけど(つまり、第三者からはどのような意図かは分からない)。
で、指摘の通り、素直に自分の「いいなぁ、これ」を体現化する形でぽちりとおしていくと、その感覚にあわせたよいモノが集まってくるような気がするとの話。まぁ、単純に「いいね」押しだけじゃなくて、書いたり言ったりのような意思表示全般をするってこと。
これって以前紹介した「自分の好きなものを公言していると、その好きなものが集まってくる」論と同じだよね、言い回しは違うけど、筋は同じ。
自分が好きなものを第三者に分かるようにすると、何かあった時にその好きなものとの関連性を覚えている人がいて、情報が投げられるかもしれない。猫好きだと普段から語っていれば、猫の写真展とか猫のカプセルガチャの新商品の情報を教えてもらうケースが出てくるってのが良い例。情報のフックの存在を他人が知ることができるって感じかな。
まぁ、落語の「まんじゅうこわい」はその逆をついたネタだよね、ということを思い出したりする。現金怖い、的な。
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